日本における私娼とは? わかりやすく解説

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日本における私娼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 16:00 UTC 版)

私娼」の記事における「日本における私娼」の解説

日本における私娼の歴史は、必ずしも明らかではない。奈良時代天平年間729年 - 749年)に遊行女なるものがあったことが知られ、これを私娼とする向きがある。『万葉集』には、大宰帥大伴卿が都に上るときに卿に侍した遊行女、児島の、「やまと路はかくれたしかれどもわがふる袖をながしと思ふな」という歌もある。のちに娼婦遊行女のほかに、白拍子遊女傾城傀儡子などに分かれたが、鎌倉時代遊女呼ばれるようになったそれまで売春はいわば自由業で、取締などが行われた形跡みえないが、建久4年5月15日1193年)に、遊女屋および遊女取り締まるために、源頼朝里見義成遊女別当命じ諸国散在する娼婦訴願取り裁かせたことが史実見える(『吾妻鏡』)。 足利氏室町幕府)は大永8年1528年)、傾城局をもうけ、竹内新次郎公事任じ娼婦から税金徴収した豊臣時代天正15年1587年)、京都馬場遊廓設けられ、ここに公娼営業形態が散娼から集娼へと改められはじめた江戸時代麹町道三町麹町八丁目神田鎌倉海岸京橋柳橋遊女屋営まれた。江戸幕府は、散在する遊女屋特定地域集合させるために、元和3年1617年)、日本橋葺屋町界隈遊郭設置許可し、ここを「吉原」と命名した。ここに、公娼私娼とを区別する公法上の体制整った吉原遊廓のほかで売春を行う娼婦淫売女と称し要する公許の場所以外で売春を行う娼婦私娼である。文久元年1861年3月16日幕府江戸および関東八州宿屋料理屋などに対し私娼を置くことを禁止した明治維新ののち、1873年明治6年12月公娼取締規則施行された。ここに警保寮から貸座敷渡世規則娼妓渡世規則発令された。娼妓以外で売春をなす者は取締り処罰された。臨時的娼婦もちろんのこと職業的娼婦であっても娼妓なければ私娼である。1876年明治9年1月27日東京警視庁は、売淫罰則さだめた

※この「日本における私娼」の解説は、「私娼」の解説の一部です。
「日本における私娼」を含む「私娼」の記事については、「私娼」の概要を参照ください。

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