施設の沿革
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本刑務所は、1935年(昭和10年)、それまで東京市豊島区西巣鴨にあった巣鴨刑務所を移転して創設された。この巣鴨刑務所は、江戸時代中期の1790年(寛政2年)、寛政の改革の一環として江戸石川島(現・東京都中央区)に創設された加役方人足寄場をルーツとし、明治中期の1895年(明治28年)に移転してできたものである。 以下、本刑務所発行のしおり、及び法務省の手による正史から一部抜粋する。 1790年(寛政2年) - 江戸幕府老中松平定信の命で、第166代火付盗賊改長谷川宣以(別名平蔵、鬼平)が隅田川河口の石川島に日本における近代自由刑のルーツとされる石川島人足寄場を設置。詳細は「加役方人足寄場#設備」を参照 1869年(明治2年) - 人足寄場、刑部省に移管され徒場と改称。 1870年(明治3年) - 東京府内初の近代的監獄となる東京監獄が、京橋区(現・中央区)南鍛冶町に開設される。 1874年(明治7年) - 石川島徒場、懲役署に改称。 1895年(明治28年)10月 - 人足寄場の後継だった石川島懲役署が東京府北豊島郡巣鴨村(現・豊島区)に新築移転。「警視庁監獄巣鴨支所」を経て「巣鴨監獄署」と改称。詳細は「巣鴨拘置所#前史」を参照 1903年(明治36年)、司法省管轄となり「巣鴨監獄」と改称。 1922年(大正11年)、巣鴨監獄が「巣鴨刑務所」、東京監獄が市谷刑務所、小菅監獄が小菅刑務所にそれぞれ改称。 1923年(大正12年)9月、同じ東京府内にあった小菅刑務所・市谷刑務所共々、関東大震災により壊滅的被害を受ける。詳細は「東京拘置所#小菅刑務所」および「関東大震災#司法・法制の動き」を参照 1935年(昭和10年)6月 - 巣鴨刑務所、東京府北多摩郡府中町(現・府中市)に移転し「府中刑務所」と改称。累犯受刑者で改善困難な者を収容する。 1937年(昭和12年)巣鴨刑務所跡地に市谷刑務所が移転、東京拘置所が誕生する。 1968年(昭和43年)、組織規定改正により、八王子拘置支所を管轄する。 1972年(昭和47年)、受刑者分類規定の制定によりB級受刑者、F級受刑者(アメリカ合衆国軍関係者を除く)を収容する。 1986年(昭和61年)9月、全面改装工事(10年計画)に着手。 1995年(平成7年)4月、外国人被収容者の増加に伴い、国際対策室を新設。 1999年(平成11年)3月、新庁舎就工。 2009年(平成21年)9月、八王子拘置支所廃止。
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