施設の沿革とは? わかりやすく解説

施設の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 11:56 UTC 版)

府中刑務所」の記事における「施設の沿革」の解説

本刑務所は、1935年昭和10年)、それまで東京市豊島区西巣鴨にあった巣鴨刑務所移転して創設された。この巣鴨刑務所は、江戸時代中期1790年寛政2年)、寛政の改革一環として江戸石川島現・東京都中央区)に創設され加役方人足寄場ルーツとし、明治中期1895年明治28年)に移転してできたものである。 以下、本刑務所発行のしおり、及び法務省の手による正史から一部抜粋する1790年寛政2年) - 江戸幕府老中松平定信の命で、第166火付盗賊改長谷川宣以(別名平鬼平)が隅田川河口石川島日本における近代自由刑ルーツとされる石川島人足寄場設置詳細は「加役方人足寄場#設備」を参照 1869年明治2年) - 人足寄場刑部省移管され徒場と改称1870年明治3年) - 東京府内初の近代的監獄となる東京監獄が、京橋区(現・中央区南鍛冶町開設される1874年明治7年) - 石川島徒場、懲役署に改称1895年明治28年10月 - 人足寄場後継だった石川島懲役署が東京府北豊島郡巣鴨村(現・豊島区)に新築移転。「警視庁監獄巣鴨支所」を経て巣鴨監獄署」と改称詳細は「巣鴨拘置所#前史」を参照 1903年明治36年)、司法省管轄となり「巣鴨監獄」と改称1922年大正11年)、巣鴨監獄が「巣鴨刑務所」、東京監獄市谷刑務所小菅監獄小菅刑務所それぞれ改称1923年大正12年9月、同じ東京府にあった小菅刑務所市谷刑務所共々関東大震災により壊滅的被害を受ける詳細は「東京拘置所#小菅刑務所」および「関東大震災#司法・法制の動き」を参照 1935年昭和10年6月 - 巣鴨刑務所東京府北多摩郡府中町(現・府中市)に移転し府中刑務所」と改称累犯受刑者改善困難な者を収容する1937年昭和12年巣鴨刑務所跡地市谷刑務所移転東京拘置所誕生する1968年昭和43年)、組織規定改正により、八王子拘置支所管轄する1972年昭和47年)、受刑者分類規定制定によりB級受刑者、F級受刑者アメリカ合衆国軍関係者を除く)を収容する1986年昭和61年9月全面改装工事(10年計画)に着手1995年平成7年4月外国人被収容者増加に伴い国際対策室を新設1999年平成11年3月新庁舎就工。 2009年平成21年9月八王子拘置支所廃止

※この「施設の沿革」の解説は、「府中刑務所」の解説の一部です。
「施設の沿革」を含む「府中刑務所」の記事については、「府中刑務所」の概要を参照ください。

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