新日本プロレスとの業務提携とは? わかりやすく解説

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新日本プロレスとの業務提携

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 18:07 UTC 版)

UWF」の記事における「新日本プロレスとの業務提携」の解説

活動停止後社長浦田昇は、新日本全日本との本格的な業務提携交渉開始全日本との交渉は、長州力ジャパンプロレス勢や、先にUWF退団し全日本参戦していたラッシャー木村剛竜馬旧国プロレス選手たちによって飽和状態であり、所属選手全員受け入れ余力はなかった事から決裂新日本との交渉望みをかけた。新日本との交渉難航したが、1985年12月6日業務提携発表前田高田山崎藤原木戸古巣である新日本電撃復帰することになった前田挨拶立った新日本リングで「この1年半UWF戦いがなんであったかを確認するために新日本に来ました」と宣言した。なお、崩壊以前から前田ジャイアント馬場から「全日本に来ないか」と誘われていたが、上記通り選手飽和状態で、馬場オファーしたのは前田高田けだった為、他の選手の事を考え断っている。 1986年1月新日本からの要求により、猪木への挑戦賭け、5選手による「UWF代表者決定リーグ戦」が新日本新春シリーズにて行われる2月5日大阪城ホール大会でリーグ戦勝ち抜いた藤原前田によるUWF代表者決定戦が行われ、試合両者リングアウトの後、延長戦となり、終盤前田藤原スリーパー決めるが、その一方で藤原前田をレッグロックに捕える藤原が口から泡を吐いて失神同然になったものの、前田同時にタップレフリーミスター高橋藤原勝利を告げUWF代表として猪木への挑戦獲得2月6日両国国技館行われた新日本プロレスUWF頂上対決は、かつての師匠と、その付き人一戦となる。試合猪木あくまでも自分格上であることを意識した試合運び局部への蹴り顔面へのストレートパンチとラフファイトの末に藤原絞め落とされ敗戦したが、直後前田リング乱入し勝ち名乗りを上げる猪木の顎に不意打ちハイキック見舞いダウンさせた。前田反則技織り交ぜた上で藤原勝利した事に激昂、「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか」と猛批判して、これを契機新日本UWF全面抗争突入する。 彼らはUWFスタイル貫いて新日本真っ向からイデオロギー対決挑み2つ異なスタイル対決するスリリングな展開(実際新日本ロープ反動利用しないUWFスタイルでの戦い強いられることになった)は、佐山聡タイガーマスク)の引退長州筆頭とするジャパンプロレス勢の大量離脱マシーン軍団登場による迷走等によりかつての勢い失いかけていた新日本戦い模様に再び火をつけ、ファン出戻り組のUWF大い歓迎当時ワールドプロレスリング実況担当していた古舘伊知郎は「闘いのカムバックサーモン現象」と呼んだその中で今も語り継がれる名勝負や名シーン数多く生み出されている。1986年3月26日東京体育館大会で新日本UWFの5対5イリミネーションマッチが行われた。4月29日津市体育館での前田アンドレ・ザ・ジャイアント戦のシュートマッチは、先鋭化する一方前田を潰すために新日本画策したものとされ、この試合テレビ収録されたにもかかわらずあまりに異質な試合になったためお蔵入りとなった前田は「やっちゃていいんですか」と何度もセコンド確認入れて結果的にアンドレ戦意喪失追い込んでいる。10月9日両国国技館での2大異種格闘技戦行なわれ前田ドン・中矢・ニールセン戦での勝利で、前田猪木代わり「新・格闘王」という称号を得る。高田越中詩郎IWGPジュニアヘビー級王座を巡る対決中心としたジュニア戦線充実第2期ジュニア黄金時代)なども大きな話題となった1986年6月12日大阪城ホール行なわれIWGPリーグ戦での、前田日明藤波辰巳シングルマッチでは、前田序盤からキック顔面胸板浴びせる藤波真っ向から受け、コーナー藤波に対して放った回転大車輪キックにより、藤波は額を切り大流血して最後前田ロープに飛ぶというUWFとしては異例行動を取る。前田放ったフライングニールキック藤波のジャンピング・ハイキック空中交差して両者後頭部から落ちてダブルKOという壮絶な結末になった。この対決後に前田は「無人島思っていたら、そこに仲間がいた」と語り上辺ではUWF新日本雪解け予感させたが、新日本UWFともにフラストレーションは高まる一方で遠征先の熊本県水俣市旅館設けられ親睦宴席では、双方泥酔し大暴れした挙げ句旅館破壊する騒動起こした1987年長州ジャパン新日本電撃復帰し、6月12日両国国技館大会で行われたIWGPリーグ戦決勝戦猪木マサ斎藤戦で猪木が4連覇達成した後、いつまで経ってリング上が猪木世代支配されていることに苛立った長州が「前田、おまえは噛み付かないのか。今しかないぞ俺たちがやるのは」と、リングから藤波前田巻き込むように世代闘争アピール。これに前田が「どうせやるんだったら世代闘争に終わらんとな、誰が一番強いか決まるまでやればいいんだよ決まるまで」と呼応し猪木斎藤旧世代軍と長州藤波前田中心とする新世代軍戦い始まった。 しかし発起人である長州が「俺はフライングするぞ」の一言旧世代軍との戦い終結早々に一方的に宣言したことで、長州前田の間で確執ができ、ついに1987年11月19日後楽園ホール大会で行われた維新軍UWFの6人タッグマッチにおいて、前田長州防御出来ない背後から顔面モロに蹴るという「前田顔面蹴撃事件」を起こした長州右前頭洞底骨折全治1か月重傷負いプロレスにおける暗黙のルールである「故意相手怪我をさせるような攻撃はしてはならない」という禁を破った前田は、その行為内外から問題視され無期限出場停止処分となった前田は「長州さんに蹴り入れ前に肩を叩き「今から蹴りますよ」と合図送ったが、肩を叩かれ長州さんが横を向いてしまった」「事件ではなく事故」と語っている)。その解除条件としてメキシコ遠征言い渡されるものの、これを拒否したことで、1988年2月1日付け前田新日本から契約解除される

※この「新日本プロレスとの業務提携」の解説は、「UWF」の解説の一部です。
「新日本プロレスとの業務提携」を含む「UWF」の記事については、「UWF」の概要を参照ください。

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