批評など
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呉智英は『週刊宝石』に連載していた漫画の評論にて、「『穀物戦争 蟷螂の斧 汚れた金』はデュークが登場せずともトリックが成立し得るストーリーだが、ゴルゴ13であるためにデュークを登場させた」と指摘した。するとゴルゴファンから抗議が殺到し、呉は再反論するはめになった。一連のやりとりは、呉智英著『バカにつける薬』(ISBN 4-575-71075-X)のP104からP124『鹿を撃つ』に収録されている。また『THE ゴルゴ学』内でも竹熊健太郎が論争を要約して触れている。 1997年8月に発表され、SPコミックス版第126巻、文庫106巻に収録されている『HAPPY END』では、破壊工作員のアクションヒーロー『ゲーリー・ライトニング』が活躍する人気コミック作品の作家が自らの連載に辟易するという、さいとう自身のセルフパロディ的なエピソードが描かれる。その作家はゴルゴへ依頼を行う会談の中で「何度やめようとしたか分からない」「周囲は許してくれなかった」「何度も作品の中で(ゲーリーを)殺してやろうと考えた」「(ゲーリーは)もうトシさえとりはしない!」と語った。後年、ビッグコミック誌上にて、同じく長期人気連載を持っていた秋本治(こちら葛飾区亀有公園前派出所)と対談企画 が行われた際にこのエピソードが取り上げられるとさいとうは「ま、それ、本音ですね(笑)」とコメントしている。
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批評など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/01 04:21 UTC 版)
2010年『文藝』の島本の特集号に掲載された「作家による作品解説エッセイ」で本作を担当した角田光代は、「(本作に限らず)島本が書く状況や設定は非常に残酷」、「なのに読み手はその残酷さに気づかない。島本理生が残酷さを書かせたら当代一の作家だと言う読み手は少ないのではないか」と説いている。なぜ島本の描く作品に潜む残酷さに気づかないかのロジックについて角田は、島本は「食べるシーン」をよく書く作家であることを指摘し、この作品でも食べる場面が非常に多いことを指摘(表題作に登場する食べ物をすべて列挙した上で)、主人公らはそれらの食べ物に反応する(食事をする場面を挟む)ことによって、この小説が、死ではなく、生きることを書いている(生きているということを読者に意識させている)と解き、だから私たちは(読者は)この小説に含まれた死のイメージから離される(離れて物語を読むことができる)と解説している。
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批評など
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「クローバー (小説)」の記事における「批評など」の解説
2010年『文藝』の島本の特集号に掲載された「作家による作品解説エッセイ」で本作を担当した中村航は、(以前に島本と対談した際に)「恋愛小説は詰め将棋のようなもの」と、例えたことから、島本を将棋の世界の竜王級なのかもしれないと評した上で、「この作品は真剣で、ふっくら心地よくて、そしてユーモアに溢れている(2009年までに上梓された単行本作品の中では、特にユーモラスだと思う)」と評し島本の2009年までの単行本上梓の作品のなかではもっともユーモア(軽さと明るさ)に振った作品と解説している。一方で物語の終盤の華子が電車のドアを前にした部分を引用し、この仕掛けを双六になぞらえ、まっすぐなストーリーを描きつつ最後にギャンブルのようなシーンを挿入することにより読者を最後に驚かせようと意図した演出なのだと解説している。
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