幡ヶ谷線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:12 UTC 版)
渋55:渋谷駅 - 東大前 - 代々木上原 - 東北沢駅 渋谷駅から国道246号、神泉町交差点から旧山手通り、山手通りを北進し、東大裏交差点から航研通りに入り東大駒場キャンパスの北を走る。さらに三角橋交差点から東京都道420号鮫洲大山線にそのまま直進し、東北沢駅のロータリーへと乗り入れる。毎時1~2本程度の頻度で運行している。 2021年3月31日までは、東北沢から先は五條橋交差点から住宅街の細い区道に入り、幡ヶ谷折返所へ向かっていた。しかし路線維持が厳しい状況にあるとして、2021年4月1日より東北沢駅の駅前広場へ乗り入れを行うとともに、前日の3月31日をもって東北沢(駅) - 幡ヶ谷折返所間を廃止した。幡ヶ谷折返所の廃止直前は、1時間に2本程度の頻度で運行していた。その後、幡ヶ谷折返所の跡地は賃貸駐車場に整備された。 路線内にある代々木上原停留所は、小田急小田原線、東京メトロ千代田線の代々木上原駅とはまったく異なる地点にある(同駅は井の頭通り沿いに位置する)。廃止された幡ヶ谷折返所も京王新線幡ヶ谷駅から離れた住宅街の中にあったが、こちらは同駅から徒歩圏内となっている。 歴史は古く、1920年に開通した代々木乗合自動車の本線を起源とする。当初の終点は三角橋(現・松陰学園前)で、代々木乗合の本社(のちの代々木営業所)もそこにあった。昭和に入ると中野方面に延長され、戦中までは6号通り、鍋屋横丁を経て中野駅まで直通していた。 戦後は、1946年(昭和21年)4月21日に渋谷駅 - 東北沢駅で運転を再開する。大東急の解体と同時に中野営業所を譲渡し、東急のエリアは幡ヶ谷以南となる。1950年(昭和25年)5月6日からは都営バスとの相互乗り入れで東京駅まで延長し、123系統(幡ヶ谷 - 渋谷駅 - 溜池 - 東京駅)となった。 詳細は「都営バス渋谷営業所#東85系統」を参照 東京都交通局の第2次再建計画による路線再編成により、1977年(昭和52年)12月15日をもって東京駅への直通運転が中止された。都営は渋谷駅と新橋の間に並行路線があったため、全線廃止し撤退した。東急は再び渋谷駅が起点となり、現在の形に落ち着いた。 その後の渋谷駅乗り場は、渋谷駅東口から玉川線の渋谷駅跡地へと移り、渋谷マークシティの建設により1994年(平成6年)に同乗り場が廃止されると南口バスターミナルに移動した。これに伴い、幡ヶ谷行きの方向幕は誤乗を防ぐため全面青色地のものに交換された。 詳細は「渋谷マークシティ#旧バスターミナル」を参照
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