大東急時代の営業所統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:12 UTC 版)
「東急バス淡島営業所」の記事における「大東急時代の営業所統合」の解説
淡島営業所は日東乗合から玉川電鉄に渡った営業所を直系の元祖とするが、玉川電鉄ではもう1つ、現在の東京農業大学の近くにあたる世田ヶ谷町桜(現・世田谷区桜)に世田谷営業所(後にイメージスタジオ109となった土地)を設けていた。場所的には現在の弦巻営業所の元祖といってもよいが、戦前のうちに玉川電鉄から東横電鉄に継承されたものであり、淡島営業所の流れに属する。戦中 - 戦後の混乱の中で廃止され、淡島営業所に統合された。 詳細は「東急バス弦巻営業所#沿革」を参照 一方、代々木営業所は大東急解体と同時に京王線以北の路線が京王帝都電鉄に譲渡されたため、幡ヶ谷線と初台線に相当する短距離区間だけが中途半端に残ることとなり、淡島営業所に統合の上廃止となった。 詳細は「東急バス#新生・東急電鉄時代」を参照 このため、昭和20年代には世田谷通りを走る成城線、調布線なども受け持ち、営業範囲が世田谷区・渋谷区・目黒区だけでなく狛江町、調布町(現・調布市)にまで及んでいたこともある。 「東急バス弦巻営業所#成城線」および「小田急バス狛江営業所#調布南口線」も参照 1947年(昭和22年)、東急初の都営共管路線の一つである103系統の運行が始まり、淡島営業所が担当となる。103系統は当初駒沢で折り返しだったが、後に経堂駅行きに変更となり経堂線として定着。続けて1950年(昭和25年)に幡ヶ谷線を東京駅まで延長して都営共管とした。 詳細は「都営バス渋谷営業所#東84系統」および「東急バス大橋営業所#経堂線」を参照
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