山本家の来歴とは? わかりやすく解説

山本家の来歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 06:30 UTC 版)

山本又五郎」の記事における「山本家の来歴」の解説

山本家近江国栗太郡辻村(現・滋賀県栗東市)の出身で、その来往室町時代といわれているが明瞭ではない。祖先山本清兵衛称し1175年安元年中清兵衛清澄時に越後国移転関谷山本なる地に移転したその後、城資国(城資永の父)の乱(じょうすけくにの乱)越後平氏参加し平民となり、一族塔城山下塔城天神岡移転した1596年慶長20年)には二代目山本又五郎稲留流鉄砲術稲富祐直)の印可状受けた初代が(1586年天正14年鋳造した鰐口」が東京国立博物館保存されている。1618年元和4年)に堀直竒(正漢字堀直寄(ほりなおより)が村上城転封されるにあたり現在の長井町移転した。。 幕末期の1848~1855年嘉永年中)には、村上藩主から江戸召されて大砲2門を製作した禁裏参内し1867年(慶応3年7月)第13代山本又五郎は「大監物大和斉藤宿弥」から「御綸旨ごりんじ)」禁裏御所御定目真継大和守」支配鋳物師受けている。(1854年嘉永6年黒船来航1858年安政の大獄 天皇孝明天皇明治天皇また徳川家茂徳川慶喜大政奉還 慶応3年10月14日)) 村上大祭おしゃぎり村上名工有磯周斎」によって製作されたものであるが、上町おしゃぎりは、又五郎の家の祭りの際に「大梵鐘」を乗せた車を引かせていた名残である。大梵鐘には山本又五郎1633年寛永10年鋳金した「羽黒山大権現」の刻銘記されている。また、長井町の鐘、塩町等の鐘も又五郎鋳物したもので、年月と銘が刻鋳され代々引き継がれ鋳鐘されている。鐘の鋳方は鋳物師技術の継承で、町々で音色が違う。鋳方、調合替えて、鋳鐘したもの伝えられている。 長井町の「おしゃぎり」の鐘 全景 山本又五郎の刻鋳 昭和5年7月吉日の刻鋳 第15代五郎作品1890年第3回内国勧業博覧会第二部美術第四類(美術工業)に「銅製饕餮文花瓶」(径54.5高さ78.7)を出品され宮内省購入し(現・宮内庁三の丸尚蔵館所蔵されている。) 宮内庁所有品のため写真は未添付ですが、三の丸尚蔵館開催された「古典再生 作家たちの挑戦」の図録掲載されています。リンクします19ページ(22目)東洋の美 新たなる挑戦にて作品閲覧ください宮内庁添付承認済。 山本家代々菩提寺は、村上市羽黒町の體真山たいしんざん)満福寺にある。満福寺には昭和12年建立した鋳物球形で、底部獅子囲まれている」墓碑威風漂わせている。(代々の又五郎歴代履歴満福寺過去帳よるもの、同寺には山本一族の遺作多く残されている。) 満福寺にある山本家墓碑 墓碑周りを囲む獅子 第16代五郎八十八、および親族

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