堀直寄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 06:19 UTC 版)
堀 直寄(ほり なおより)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名。越後坂戸藩、信濃飯山藩、越後長岡藩、越後村上藩主。堀直政の次男(または三男)[1]。兄に直清、弟に直之、直重ら。正室は長沢松平家出身の松平近清の娘。子に直次、直時、娘(池田長常正室)、娘(岡部行隆正室)。官位は従五位下、丹後守。
- ^ ただし、『枢要秘書』という書に直寄直筆の文書の写しが採録されており、その中では「監物(直清)事ハ私ヨリオトゝニて御座候」と書かれており、これによれば直寄は庶長子であったことになる(『村松町史』)。
- ^ 「絹本著色妙泉院像」 ラ・ラ・ネット(新潟県生涯学習情報提供システム)
- ^ 新潟県立歴史博物館 平成二十三年度 夏季企画展「越後の大名」ポスター
- ^ 新潟県立歴史博物館 館蔵資料紹介
- ^ 「堀直寄像」(絹本著色、新潟県立歴史博物館蔵、玉室宗珀・沢庵宗彭・江月宗玩賛、寛永13年(1636年)7月)。本図は村松藩で「御寿影」と称され、享保16年(1731年)以降毎年正月11日の「御具足之賀」に藩主出座の部屋に掛けられて上級家臣が拝礼し、近年まで子孫の家で旧例に倣った先祖祀で使用された(門脇むつみ「《作品紹介》狩野探幽筆、玉室宗珀・沢庵宗彭・江月宗玩賛「堀直寄像」『MUSEUM 東京国立博物館研究誌』第641号、2012年12月、pp.69-77)。
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