長沢松平家
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長沢松平家(ながさわまつだいらけ)は、松平氏の庶流。十八松平のひとつ。
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- 2 長沢松平家の概要
長沢松平家
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音羽町西部に位置する長沢は、戦国時代には長沢松平家(松平氏の分家)の所領となった。一族の祖は松平信光(松平氏第3代当主)の子・親則で、長沢城を居城とした。第8代当主松平康直(松平康忠の子)は早世し、その養子松千代(徳川家康の七男)も幼くして死亡した。同じく康直の養子となった松千代の同母兄である松平忠輝(家康の六男)は1616年、徳川秀忠から改易を命ぜられる。これをもって長沢松平家は一旦断絶した。 康忠はこれに先立ち、娘と松平忠直との間に生まれた直信を自分の養子とすることにより、一応血筋を残していた。その後も一族は幕府に対して御家再興を幾度も求めたが、埒が明かなかった。しかし直信の孫・親孝が申上書を江戸城の大手門前に放置するという挙に出たことを契機として、ようやく長沢松平家を再び認知する特許が下された。再興後は碧海郡中根村に土地を与えられたが、先祖累代の所領である長沢の地への換地を願い出て、認められた。
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