一柳末徳
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一柳 末徳(ひとつやなぎ すえのり)は、江戸時代後期の大名。播磨国小野藩第11代(最後)の藩主。明治維新後に華族(子爵)となり、貴族院議員(子爵議員)を務めた[1]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i 一柳貞吉 1933, p. 48.
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』52頁。
- ^ 『官報』第2236号、大正9年1月20日。
- ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。
- ^ a b “小野藩主一柳末徳の三女と米国人夫の歩みたどる 小野で企画展”. 兵庫おでかけプラス (神戸新聞). (2019年2月17日) 2021年10月11日閲覧。
- ^ 一柳貞吉 1933, pp. 45, 48.
- ^ 一柳貞吉 1933, pp. 45–46, 48.
- ^ 一柳貞吉 1933, p. 46, 48.
- ^ 一柳貞吉 1933, p. 46.
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