就役後から海軍休日時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:56 UTC 版)
「テネシー級戦艦」の記事における「就役後から海軍休日時代」の解説
テネシー級の船体形状は前級に引き続き長船首楼型船体である。鋭く前方に傾斜したクリッパー型艦首から艦首甲板上にMark 6 1918年型 35.6 cm(50口径)砲を三連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基、2番主砲塔の基部から甲板よりも一段高い艦上構造物が始まり、その上に司令塔が立つ。司令塔の背後から箱型の艦橋が立ち船橋(ブリッジ)で接続させていた。艦橋構造はニュー・メキシコ級よりも大型化し、箱型艦橋を基部として当時のアメリカ海軍の大型艦の特色である籠状の前部マストが立つ。前部マストの下部に航海艦橋、頂上部に2層構造となった見張り所を持つ。 船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲が艦載艇置き場となっており、1番煙突の側面部に片舷に1基ずつ立つ探照灯台を基部とするクレーン2基により運用された。2番煙突の後方で船首楼が終了し、そこから甲板一段分下がって籠状の後部マストと3番・4番主砲塔が後ろ向きに背負い式配置で2基が配置されていた。 テネシー級の副砲である12.7 cm(51口径)速射砲は2番主砲塔後方の上部構造物上に単装砲架で片舷1基ずつ2基と、船体中央部にケースメイト(砲郭)配置で放射状に単装で5基の計12基を搭載していた。 就役後の1922年に甲板上の12.7 cm速射砲2門を撤去して7.6 cm(50口径)高角砲を単装砲架で4基を搭載した。1924年からカタパルト1基を設置して水上機1機を運用し始め、1920年代後半に全ての艦でカタパルト1基と水上機2機を搭載した。1929年に7.6 cm高角砲全てを撤去し、新型の12.7 cm(25口径)高角砲に更新し、これを単装砲架で8基を搭載した。近接火器として12.7 mm単装機銃8丁を搭載した。1941年に12.7 cm速射砲2門を撤去して7.6 cm高角砲を単装架で4基を追加して搭載した。 1942年3月にテネシーは7.6 cm高角砲4基を撤去して、代わりに近接火器としてMark 1 2.8 cm(75口径)機関砲を四連装砲架で4基を甲板上に搭載し、エリコン 2 cm(76口径)機関砲を単装砲架で16基を搭載した。また、マスト上にSCレーダーとFC Mk 3型レーダーのアンテナを設置した。同年6月に更に2.8 cm四連装機関砲を追加で4基を搭載した
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