少年に関するエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 04:07 UTC 版)
「神戸連続児童殺傷事件」の記事における「少年に関するエピソード」の解説
Aが在籍していた友が丘中学校の当時の校長である岩田信義は、Aには問題行動、正確にいえば、風変わりな行動が多かったと証言している。 他の生徒の靴を隠して男子トイレで燃やし、卓球ラケットで何もしていない生徒の頭を叩く、カッターナイフで他の生徒の自転車のタイヤを切るといった行為があったといわれ、Aが在籍していた小学校からは「刃物を一杯突き刺した不気味な粘土細工を制作していた」という報告を受けたという。 担任の話によると、Aの表情は総じて動きに乏しく、注意しても教員の顔を直視することがなく、心が別のところにあり、意識がずれ、言葉が届かない感じを受けたという。 しかし、これらAの行動は思春期前期の子供にままみられるパターンであり、非行と奇行のはざまにある行動だと岩田は指摘している。 中学校では入学早々から繰り返されるAの問題行動に手を焼いていた。Aの保護者も精神科医に診察を受けさせていたが、精神科医は学校の中で指導する方がいいという判断を下し、児童相談所には通所させなかった。それを受けて、学校は重点的にAを指導し、事実、1年生の2学期になると問題行動は減ったという。 それでも、教員の一部にはうちの学校で事件をやったとするならばAではないかという認識が煙のように漂っていたという。岩田はそういう話を聞くたびに「軽々しく口にすべきではない」と制止したが、岩田も「ひょっとしたら」と思っていたという。 1996年(平成8年)5月11日、当時、中学2年生のAは母の日のプレゼントに母の花嫁姿の絵を描いて渡す。前日に「母さん、何がほしい?」と聞くAに、母は「気持ちさえこもっていたら、別に何でもええよ。無理せんで」と答える。すると、Aは両親の結婚式の写真を押入れから出すと、「母さん、この女の人、誰や?」と問うので、「母さんなんやけど」と答えると「へー」といって、Aはその写真を見た後、マンガ用の画用紙の裏に一気にその絵を描き上げ、母に手渡すと、スーッと2階へ上がっていった。Aが母にプレゼントをしたのはこれが初めてであった。 Aは、第3の事件の犯行の9日前の5月15日から、友が丘中学校には登校せず、母親とともに神戸の児童相談所に通い始めていた。これは、5月13日に同級生を公園に呼び出し、自分の拳に時計を巻き付けて殴り、歯を折るなどの怪我を負わせたため、5月14日に学校から父親が呼び出しを受け、その後、両親が相談の上、学校を休ませ、児童相談所を紹介してもらったためである。暴行の原因は「竜が台の通り魔事件の犯人にまちがいない」と被害者の同級生がいいふらしていたためとAの仲間は答えているが、Aは「犯行ノート」に「アングリ(聖なる儀式)」を遂行する第一弾として学校を休むことにした」と書いていた。 加害者であるAの父親はその後文藝春秋より『「少年A」この子を生んで……』を刊行している。事件後、父親は親戚の元へ身を寄せ、また離婚して苗字を改名した。他にも弟二人がいたが、追及を避けるため、別の土地で暮らす手段が採られた。 ある時、被害者への謝罪に関し、警察官はAの父に対し、「お父さん、2月10日、3月16日の被害者の名前はご存知ですか?」と質問した。これに対し、Aの父は答えられなかった。警察官は、父親に加害者家族の苦痛を斟酌した上で、それ以上に被害者の家族が苦しみながら生きていることを諭した。
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