太宰の死との関連性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 23:37 UTC 版)
「池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨降りしきる」の記事における「太宰の死との関連性」の解説
「太宰治と自殺#太宰の死に関する見解」も参照 太宰治から色紙を贈られた相手である伊馬春部は、前述の1947年の熱海行きでの出来事の記憶が、「池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨降りしきる」を書き遺した背景にあるのではと推測した。その上でこの歌が太宰の煩悶と重なり合い、生身の太宰が迫ってくるようであり、晩年、太宰の身も心も濁りににごってしまったと指摘している。中西進もまた太宰治本人を池水に譬えていて、濁った水は太宰の混濁した意識、藤波の影がうつらないのは小説を書けなくなったことを象徴しているとしている。 また華やかなものでもなく、寂寥感漂うものでもない、いわば中間的な「もののあわれ」を好んだ太宰の感性と上手く合致したことがこの短歌を選んだ理由ではないかとの推測もある。 島内景二はこの短歌を書き遺した背景には、死を前にして太宰は、濁り、汚れた世界の向こうにある美しい真実の世界を求めた左千夫の短歌に触発され、曇った心の向こうにある美しい真実の世界を見たいとの願いがあったのではないかとしている。 日置俊次は、濁りににごった池水は重度の結核に冒された太宰の肉体を象徴するとともに、妻への遺書に小説家仲間への絶望を記した太宰にとって、濁りににごり、荒涼とした世界である文士村の比喩でもあったとする。そして太宰の胸の奥には美しい藤の花のような文章があるのにもかかわらず、濁った水には花影が映ることもなく、いつしか花が散ってしまうことを悲しんでいるとも捉えている。また文壇には子規の短歌のオマージュを受けて制作された左千夫の短歌にあるような、敬意によって結び付けられた関係性が欠如していることを嘆く気持ちも投影されているのではないかと推測している。 近藤芳美は生きることに疲れ、死の世界へと逃れようとした太宰の思いに通じるものがあったのではとした上で、生きることを模索していく中での左千夫の心の声が潜んでいる本作を、生きることに耐えられなくなった太宰の魂は、自分の言葉のように感じられたのではと推測している。 一方、中井英夫は伊藤左千夫の歌そのものは元来何の変哲もない一首に過ぎないものの、太宰が心から憎んだ人間の汚さ、けち臭さ、陰謀、嫉視に取り囲まれながら、いつか藤の花が高貴な光を映し出すと信じていたにも関わらず、その希望を叩きのめすかのように降りしきる雨についに耐えきれなくなった救いようもない心性、病み疲れた精神を余すところなく現わしているとして、太宰の死によって恐ろしいまでに象徴化され、遺書としては名歌であると評価している。
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