鶴田ダム
大鶴湖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 14:07 UTC 版)
鶴田ダムによって誕生した人造湖は旧鶴田町(現さつま町鶴田地区)と旧大口市(現伊佐市大口)にまたがる巨大な人造湖である。こうしたことから1987年(昭和62年)に大口市の「大」と鶴田町の「鶴」を採って「大鶴湖」と命名された。湖は周辺整備が行われ、春にはソメイヨシノが湖畔を彩る。このほかジョギング大会も開かれ、例年500人以上が参加して健脚を競う。ダム下流にはダムふれあいパークも建設され、休日には親子連れで賑わう。また、湖の上流端には曽木の滝がある。この曽木の滝は「東洋のナイアガラ」とも呼ばれ、増水時には川幅一杯に河水が豪快に流れ落ちる。展望台や売店などもあり、戦国期に活躍した島津氏の重臣・新納忠元(にいろ・ただもと)を祀る忠元公園とともに多くの観光客が訪れる伊佐市の観光スポットである。また大鶴湖は九州におけるヘラブナ釣りのメッカとも言われ、毎年二月頃から巨大なヘラブナを釣ることが可能であり、多くの釣り客が糸を垂らす。しかし近年ではブラックバスの増加が懸念されており、毎年春には駆除を目的としたバス釣り大会も催されている。1991年(平成3年)6月15日、体長30センチメートルで全身が金色のナマズが釣り上げられ話題となった。翌1992年6月26日にも体長40センチメートルで尾に黒色が残るもののほぼ全身が金色のナマズが捕獲された。大鶴湖は2005年(平成17年)に大口市と鶴田町の推薦を受け、財団法人ダム水源地環境整備センターが選定する「ダム湖百選」の一つにも選ばれた。 また、下流の川内川第二ダム直下には「堕涙石」(だるいせき)と呼ばれる石碑がある。これは1869年(明治2年)、増水した川内川に投げ出された父を助けようとして絶命した植村津與子(うえむら・つよこ)を顕彰する石碑であり、この話が明治政府に伝わって翌1870年(明治3年)に鶴田郷の地頭などが建立したと伝えられている。本来は遭難した上流部に碑文とともに存在していたが、平成18年7月豪雨の際に増水した川内川によって碑文は流失。辛うじて石碑は残ったので下流に再建されている。洪水による悲劇を今に伝える石碑である。
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