執筆活動と調査旅行とは? わかりやすく解説

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執筆活動と調査旅行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:59 UTC 版)

ジャン・マビヨン」の記事における「執筆活動と調査旅行」の解説

マビヨンは師のアシェリから最初に託され仕事は、マビヨンサン・ジェルマン・デ・プレに移る直後病没したマビヨン前任者やり残していた聖ベルナルド全集完成であった当時、聖ベルナルドの偽著が多く出回っていたが、彼は慎重なテキスト比較によって真正著作のみを採録し、1667年完成させた。続いて、彼は師が収集した史料整理病弱な体を押して行った史料収集のための調査旅行成果元にして、ベネディクト会あらゆる聖人に関する伝記執筆することになった。彼は各種聖人伝奇跡報告歴史的価値認めてその年代確定務め一方で真正史料として認められないものや史実合わない史料採用しなかった。1668年第1巻刊行され大著聖ベネディクト修道会聖人伝』(Acta Sanctorum ordinis Sancti Benedicti)は1701年までに全9巻にて完結しマビヨンを「この世紀の大学者」の1人として認めさせることとなった。ところが、この大作思わぬ波紋引き起こすことになった。それは、ベネディクト会において長い間信じられてきた何人かの聖人との関係について史料的に歴史的事実認められないことを理由として『聖人伝』から除いたであった。これが他の修道士からベネディクト会修道士の名誉を傷つけるものとされたのである。これに対してマビヨンは「キリスト教徒真理大事にすることが重要であり、真理とは言えない話や作り話をもって語ることはむしろ修道会不名誉につながる」と反論したこうしたマビヨン対す批判は『聖人伝編纂進展とともに沈静化し、彼の方針が次第受け入れられるようになっていった。 マビヨン執筆活動支えたのは、師であるアシェリとともに収集整理し1685年の師の病没後は彼に託され大量古文書歴史史料の類であった。だが、マビヨンはこれに満足せずヨーロッパ各地修道院図書館やその他施設眠っている古文書などの掘り出し為に病弱な体を押して各地調査旅行行って、これらの施設にある文書調査行い時間的余裕管理者許可得られれば写本作成して新たな財産増やしていくことを怠らなかった。1672年フランドル地方1680年ロレーヌ地方1682年ブルゴーニュ地方調査旅行行っている。1683年6月から11月にかけてアシェリフランス国王ルイ14世の命を奉じる形でドイツ・スイスの調査旅行行った。この旅行にはアシェリ元に出入りしていたフランス財務総監コルベール働きかけ大きかったアルザス地方からスイスシュヴァーベン地方アウクスブルクバイエルンを巡る4か月余りの旅は当時のフランス・ドイツ関係の悪化にも関わらず各地歓迎受けて写本事業における便宜受けた。特にブルゴーニュ地方のルクスールを訪問した際に、6世紀から7世紀にかけてのメロヴィング朝時代書写された『ガリア典礼』を発見したのである。これはカール大帝によって廃止され当時では見ることのできないものであったマビヨン直ちにこれを移して注釈付けて1685年刊行した。『ガリア典礼』の献呈受けたランス大司教シャルル=モーリス・ル・テリエ(fr)は、彼をローマ派遣して調査旅行をさせるように国王ルイ14世進言して認められた。旅立ち直前マビヨンルイ14世謁見する機会得たその際、ル・テリエは彼を「王国において最も学識に富む人物」であると紹介した。ところが、同席したモー大司教ジャック=ベニーニュ・ボシュエは、ル・テリエを非難した。それは、マビヨンが「王国において最も謙虚な人物」でもあることを国王紹介しなかったことをル・テリエの不誠実によるものみなしたであったこの年4月1日パリ出発したマビヨン途中ヴェネツィアにて師・アシェリ訃報受け取った加えて、この当時フランスローマ教皇庁の関係が悪化しており、彼の旅の前途多難危惧させた。ところが、ローマに着くと、彼は教皇庁現地学者から歓迎を受け、ローマ図書館文書館出入りする便宜与えられた。彼は途中ナポリモンテ・カッシーノベネディクト会総本山)などの調査行い翌年2月までローマ滞在してその後フィレンツェなどを回って7月パリ帰還したこの間3000冊以上の写本行い一部当時建設中であった王立図書館寄贈された。また、報告書相当するイタリア図書館』を刊行したその後1696年アルザス・ロレーヌ地方1699年シャンパーニュ地方1700年ノルマンディ地方1703年にシャンパーニュ・ブルゴーニュ両地方調査旅行行い数多く調査行った。その成果多く著者反映されることになる。その最大成果1681年刊行され同年を「人類精神歴史においてたしかに画期的な年である」(マルク・ブロック歴史のための弁明』)と評価された『古文書学』である。

※この「執筆活動と調査旅行」の解説は、「ジャン・マビヨン」の解説の一部です。
「執筆活動と調査旅行」を含む「ジャン・マビヨン」の記事については、「ジャン・マビヨン」の概要を参照ください。

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