四国国分とは? わかりやすく解説

四国国分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 00:57 UTC 版)

四国国分(しこくくにわけ)とは、豊臣秀吉による四国攻めが終わった後、天正13年(1585年8月からその戦後処理として豊臣政権によっておこなわれた、四国地方に対する大名など諸領主領土配分のことである。


  1. ^ 池(2003)p.56
  2. ^ 池上(2002)p.146
  3. ^ a b c 内田(2003)p.153
  4. ^ 吉村佐織「豊臣期土佐における女性の知行-『長宗我部地検帳』を中心に-」(初出:『海南史学』41号(2003年)/所収:平井上総 編『シリーズ・織豊大名の研究 第一巻 長宗我部元親』(戎光祥出版、2014年) ISBN 978-4-86403-125-7))
  5. ^ 豊臣政権下においては、戦国期を通じて地域的な統合を実現した有力な戦国大名が数多く存続しており、全国政権としての広域的秩序の維持のためには、直接的な支配ではなく、かれら有力大名がもつ地域への影響力に依拠する局面も多かった。太閤検地の実施における役割などは、その好例である。これについては、池享が、豊臣政権は「一般的に考えられているほど中央集権的ではなく、権力編成的には国家連合あるいは複合国家と考えたほうがよい」と指摘している。池享「天下統一と太閤政治」『クロニック戦国全史』講談社(1995)P.488-491
  6. ^ 天野忠幸「三好氏の権力基盤と阿波国人」(初出:『年報中世史研究』31号(2006年)/所収:天野『増補版 戦国期三好政権の研究』(清文堂、2015年) ISBN 978-4-7924-1039-1)および同「三好一族の人名比定について」(初出:天野『戦国期三好政権の研究(初版))』(清文堂、2010年)/改訂所収:天野『増補版 戦国期三好政権の研究』(清文堂、2015年) ISBN 978-4-7924-1039-1
  7. ^ 内田(2003)p.155
  8. ^ 『クロニック戦国全史』講談社(1995)P.486
  9. ^ 池上(2002)p.158
  10. ^ a b 市村(2001)p.156-157
  11. ^ 小田原征伐でも元親は、脇坂安治や加藤嘉明、九鬼嘉隆らとともに「船手」の編成を命じられている。中野(2003)p.195-197
  12. ^ 高橋(2007)p.118-120
  13. ^ a b 木原(1997)p.138-140
  14. ^ 木原(1997)p.138-140。原出典は『寛政重修諸家譜
  15. ^ 内田(2003)p.156。原出典は山内譲『中世瀬戸内海地域史の研究』(1998)
  16. ^ 西尾和美「河野通直の死と豊臣政権」(初出:『松山東雲女子大学人文学部紀要』第10巻(2002年)/改訂所収:西尾『戦国期の権力と婚姻』(清文堂出版、2005年) ISBN 4-7924-0599-8)2005年、P260-296.
  17. ^ a b 内田(2003)p.156-158
  18. ^ a b 後世の山内氏申告による値である。『当代記』には土佐一国の石高9万8,000石と記している。
  19. ^ 『クロニック戦国全史』講談社(1995)p.576


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四国国分

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四国攻め」の記事における「四国国分」の解説

四国平定結果豊臣政権によって「国分(くにわけ)」がおこなわれた長宗我部氏土佐一国安堵され豊臣政権繰り込まれ、元親の三男津野親忠人質となったその他の3国は没収され阿波正勝の子蜂須賀家政一部赤松則房)、讃岐仙石秀久聖通寺城)、うち山田郡2万石十河存保十河城)、伊予小早川隆景一部小早川秀包安国寺恵瓊来島通総得居通幸)が封じられた。また淡路脇坂安治津名郡3万石洲本城)、加藤嘉明が津名・三原郡1万5000石(志知城)に封じられた。こうして、伊予には毛利旗下大名讃岐阿波淡路には豊臣系の大名配されることとなった豊臣政権による天正13年大規模国替えにより、検地動員代表される近世統治が始まると各地膨大な数の中世城郭破却整理されとともに織豊系城郭誕生していった。四国を含む環瀬戸内海では播磨国明石城高山右近)・室津城(小西行長)、淡路国洲本城脇坂安治)・志知城(加藤嘉明)、阿波国徳島城蜂須賀家政)、讃岐国聖通寺城(仙石秀久)、伊予国山城小早川隆景)などが築城修築され、豊臣政権による九州征伐への準備進められた。

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