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南洋諸島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/29 11:51 UTC 版)
南洋諸島(なんようしょとう)
- 南洋群島
- 委任統治地域南洋群島
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1919年 - 1947年
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(国旗)
サイパン、パラオ、ヤップ、トラック各支庁は北マリアナ諸島、パラオ、ヤップ州、チューク州の領域に相当し、ポナペ支庁はポンペイ州、コスラエ州とマーシャル諸島の西側、ヤルート支庁はその残りに相当する。-
公用語 日本語 首都 コロール
(南洋庁所在地)通貨 円 時間帯 UTC +9 - +11
南洋群島(なんようぐんとう)は、かつて大日本帝国が国際連盟によって委任統治を託された西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々を指す。現在の北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦に相当する地域である。
別名は南洋諸島(なんようしょとう)。当時の日本人は内南洋(うちなんよう)とも言った[1]。
目次 |
歴史
先史時代
この地域の考古学的研究はまだ発展途上であり、はっきりしたことはわかっていないが、文化的に見て、フィリピン周辺から直接パラオ、ヤップなどに植民したグループと、東ポリネシア方面からカロリン諸島に植民したグループがいたのではないかと推測されている。この地域の先住民の文化を最も強く特色づけているのは、シングル・アウトリガー・タイプの航海カヌーであり、彼らはこれを用いて広範な交流を行っていた。特にヤップ島はこれらの島々の中でも最も強力な権力を持ち、カロリン諸島の島々から定期的にヤップ島まで貢ぎ物を届ける航海が行われていた。ヤップ島の酋長の権力は現在も強く、カロリン諸島の島々に対しても一定の権威を保持している。
西洋諸国による植民地化
詳細は「スペイン領東インド」および「ドイツ領ニューギニア」を参照
17世紀初頭よりスペインはこの地一帯を植民地化し、フィリピンと共に「スペイン領東インド」を形成していた。同地のマリアナ諸島やカロリン諸島という地名は、それぞれマリアナ王妃やカルロス2世国王に由来する。
19世紀末になりドイツも植民地経営に乗り出し、1885年にドイツはマーシャル諸島を占領した。そして、米西戦争で負けたスペインにスペイン領東インド(フィリピン、グアムを除く)の売却を持ちかけ、2500万ペセタで買い取った。ドイツはカイザー・ヴィルヘルムスラント(現在のパプアニューギニア北部)と合わせて、「ドイツ領ニューギニア」を成立させた。
やがて第一次世界大戦が始まると、日本が日英同盟に基づいて参戦し、赤道以北のドイツ領ニューギニアの各諸島を占領した。1918年にドイツは降伏し、第一次世界大戦は終結した。
日本の委任統治
第一次世界大戦での敗退によってドイツは海外植民地をすべて失い、連合国であった日本は1922年、ヴェルサイユ条約によって赤道以北の旧ドイツ領ニューギニアの地域を委任統治することとなった(赤道以南の旧ドイツ領ニューギニアの地域はオーストラリアおよびニュージーランドが委任統治)。
日本は南洋群島獲得後、開拓のため南洋庁を置き、国策会社の南洋興発株式会社を設立して島々の開拓、産業の扶植を行った。南洋群島では時差があり、東部標準時(ヤルート・ポナペ地区)が日本標準時+2時間、中部標準時(トラック・サイパン地区)で日本標準時+1時間、西部標準時(ヤップ・パラオ地区)は日本標準時と同じであった。
また、国際連盟脱退後はパラオやマリアナ諸島、トラック諸島は海軍の停泊地として整備し、それらの島には軍人軍属、軍人軍属相手の商売を行う人々が移住した。また、新天地を求めて多くの日本人が移住し、その数は10万人に上った。日本人の子供たちのために学校が開かれ、現地人の子供にも日本語による初等教育を行った。1941年(昭和16年)にはパラオ放送局が開局し、ラジオ放送が開始された。
第二次世界大戦
詳細は「ギルバート・マーシャル諸島の戦い」および「マリアナ・パラオ諸島の戦い」を参照
第二次世界大戦(太平洋戦争)においては南洋群島も戦場となり、日本軍とアメリカ海兵隊の間で熾烈な戦闘となり、多くの戦死者を出した。特に戦略上、最重要拠点の一つであったサイパン島での戦闘は凄惨を極め、在住日本人1万人が戦死もしくは自殺した。それでも守りきれず、サイパンはアメリカ軍に奪われた。サイパンは、その後日本本土を空襲する拠点となった。テニアン島は原子爆弾を搭載した爆撃機の発進基地となった。1945年に日本が降伏するが、それまでに南洋群島のほぼ全域はアメリカに占領された。
アメリカの信託統治
詳細は「太平洋諸島信託統治領」および「信託統治#太平洋諸島」を参照
第二次世界大戦終結後、国際連合は旧委任統治領・南洋群島をアメリカ合衆国を施政権者とする信託統治に付することになった。当初は太平洋諸島信託統治領全域をひとつの連邦国家として独立させる計画であった。
また、アメリカは終戦後すぐに、ビキニ環礁において史上4発目の原子爆弾を炸裂させ、この地を放射能で汚染した。その後、初めての水素爆弾実験場にも選ばれ、ビキニ周辺は幾度となく核兵器の実験場となった。実験に際して多くの住民がほかの島々へ強制移住させられた。
1980年代から各地で独立運動が起こり、対米交渉や住民投票を経て、軍事を除く自治権を獲得した。そして自由連合の名のもとにパラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦が1994年までに独立した。ただし、北マリアナ諸島は独立せず、アメリカとの交渉の結果、コモンウェルス規約を締結し、現在に至るまでアメリカのコモンウェルス (米国自治連邦区)となっている。なお、先の核実験の影響から、これらの国では核に対するアレルギーが、原爆の攻撃を直接受けた日本と同等、またはそれ以上とも言われており、南洋諸島では非核条約ラロトンガ条約が結ばれている。
人口
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- ^ ちなみに外南洋は、内南洋以外のミクロネシア、メラネシア、東南アジアの島嶼部を指す。
- ^ 『第9回南洋庁統計年鑑 昭和14年』
- ^ 現在、観光客向けに披露する「チャモロ・ダンス」ではなく、純然たる西洋式ダンスのことである。
- ^ 戦後、彼らは日本人が引き揚げて無人島化していたテニアン島に移り住むようになった。
- ^ 南洋興発に対する小作争議が数件あったくらいで、島民による独立運動もなかった。
- ^ ガラパンにある「日本刑務所跡(Old Japanese Jail)」と呼ばれる遺構のことである。
- ^ 「南洋群島酒類取締規則」のように、この地域に関する諸法令は一貫として「南洋群島」と称し、「南洋諸島」の用語が用いられることはなかった。
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