南洋進出失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 10:31 UTC 版)
1952年福岡で不遇をかこっていた敏子に耳寄りな話が舞い込んだ。大の日本びいきのマライの大金持ちがマライに入漁する日本人を求めているという。現地で反対運動もおき、1955年やっと敏子の入国許可が下りた。シンガポールの華僑頼健源と合弁会社を立ち上げた。資本金6000万円にうち、敏子は2500万出した。水揚げは十分であったが、沖縄人には漁業権がないといって金もくれない。敏子の事業は失敗した。1958年に撤退した。
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