南唐とは? わかりやすく解説

なん‐とう〔‐タウ〕【南唐】

読み方:なんとう

中国国名五代十国の一。937年、呉の昪(りべん)が呉帝の禅譲受けて建国。都は金陵南京)。江南の富を背景強盛誇ったが、975年、宋の太祖滅ぼされた。江南国。


南唐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/17 16:08 UTC 版)

南唐(なんとう、937年 - 975年)は、五代十国時代江南に割拠した国であり、十国の一つである。首都は江寧。国号は単にであるが、唐と名乗った他の政権と区別するために、特にこの国の名を南唐という。文化的・経済的に繁栄し、十国の中では最大の勢力を誇ったが、華北後周北宋に攻め立てられて滅亡した。




「南唐」の続きの解説一覧

南唐(江南国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:16 UTC 版)

大宋伝奇之趙匡胤」の記事における「南唐(江南国)」の解説

李煜(南唐後主)(演:張亜希) 南唐皇帝李璟の六男。琴棋書画や詩詞歌賦の才能には抜群に優れているが、治国政務にはあまり興味示さず自由奔放な性格。 父・李璟病死後、西暦961年に南唐皇帝(江南国国主)に即位当初は、宋朝と非常に良好な関係を維持していたが、宋が天下統一への野心強めると、次第宋朝反抗意思示し始める。 宋の帰順要請拒否し、宋が南唐に攻め入ってからも徹底抗戦主張し続けた。だが結局高懐徳率いる宋の大軍金陵攻められ、南唐は滅亡自身皇后の周英とともに捕縛され汴京連行された。 宋に降伏した後は、趙匡胤温情特別に死罪免じられ、「違命侯」という皮肉めいた地位封じられ併せて右千牛衛上将軍の職も授かった。そして、汴京邸宅を賜って、妻の周英とともに貴族待遇安穏とした暮らし許された。 李璟(李景)(南唐元宗)(演:蘇茂中国語版)) 南唐皇帝(江南国国主)。五代屈指の名君李煜従善の父。 天下に覇を唱えんとする大きな志を持つ仁義満ちた英明な君主で、群臣巧みに起用し、民を我が子のように愛し善政敷いて国力増強させた。その在位中、閩・の二か国を併合し領地飛躍的に拡大し、南唐の勢力大い強めた西暦956年勇んで後周戦い挑んだが、完敗後周降伏し(※形式上和議)、臣下の礼を取って国名を南唐から江南国に変更自身皇帝から降格し江南国国主を自称さらには敗北代償として、江北14州をはじめとした国土割譲する始末となった後周完膚なきまでに敗れた後は、自身軽率な行動後悔し強く自重して後周との友和維持した。また後周滅びて宋朝成立した後も、宋朝友好関係結んで自国安定第一に考えた揚州反乱起こした李重進が、江北14州を餌に協力要請をしてきたが、李重進軍の形勢不利を察し熟慮の末にこれを拒否。そして、宋朝との友好維持した。南唐の援軍得られなかったことで、李重進敗死への道を突き進むことになる。 西暦961年崩御徐鉉(演:高森) 南唐(江南国)の重臣忠臣翰林学士承旨。徐(花蕊夫人)の叔父。 南唐が後周完敗した際は、降伏(和議)の使者として柴栄幕舎赴いた宋朝に対して友好的な大臣であり、宋との戦いにおいて後蜀孟昶花蕊夫人が、南唐に援軍求めた際も、これに反対した。 宋が南唐へ帰順要請した際は、主君李煜に対して宋への帰順唱えた。宋が南唐を攻撃してから後も、徹底抗戦主張する李煜に対して宋との和平唱え一時撤兵要請使者として汴京に赴き、宋皇帝趙匡胤謁見した。 南唐滅亡後は、李煜李景達らとともに宋に降伏趙匡胤にその忠義認められ宋朝における翰林学士地位与えられた。 林仁肇中国語版)(演:昱孚) 南唐(江南国)の大将軍枢密使名将文武両道優れた忠臣趙匡胤甚だしく恐れた南唐最大強敵趙弘殷と戦場対峙し、その左腕負傷させたことがある後周との「滁州戦い」において大い奮戦し、南唐軍が壊滅的被害を受ける中、ただ一人2000人馬率いて廬州撤退することに成功した李重進反乱軍が南唐に救援要請行った際、李重進の軍への呼応李璟進言した。 やがて、趙匡胤仕掛けた反間の計」によって陥れられ、猜疑心強めた皇帝李煜によって毒殺された。

※この「南唐(江南国)」の解説は、「大宋伝奇之趙匡胤」の解説の一部です。
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