北アフリカ諸国とイギリスの同盟とは? わかりやすく解説

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北アフリカ諸国とイギリスの同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 09:42 UTC 版)

オスマン帝国の対プロテスタント政策」の記事における「北アフリカ諸国とイギリスの同盟」の解説

詳細は「en:Anglo-Moroccan alliance」を参照 1551年に「獅子」と呼ばれたトーマス・ウィンダム(The Lion of Thomas Wyndham)の航海についで、1585年イギリスの「バーバリー会社」が設立されイギリス北アフリカ諸国、特にモロッコとの交易発展したエリザベス1世北アフリカ諸国外交関係同盟結ばれたイギリススペイン敵対するサアド朝モロッコ交易関係を持つようになり、教皇禁止令に反してモロッコ武器弾薬木材金属売りモロッコから砂糖輸入した。このことは、スペイン駐留ローマ教皇大使(Nuncio)が、エリザベスについて以下のように書かせることとなった。「この女性によって考えられない悪はない。彼女は、実に悲しむべきことに、武器、特に大砲モロッコサアド朝のスルターン・アブドゥル=マリク)を援助するのだ。」 モロッコでは1576年サアド朝君主スルターン・アブー・アブドゥッラーフ・ムハンマド2世が、オスマン朝後援受けた叔父のムハンマド・アル=ムタワッキル廃位され事件起きていた。ムハンマド2世敵対していたポルトガル亡命しポルトガル王セバスティアン1世十字軍名目ムハンマド2世復位援助し北アフリカ17,000人の軍勢ムハンマド2世伴って親征した。(スペイン国王フェリペ2世セバスティアン王の親征思いとどまるよう説得したものの叶わなかった) 新スルターンとなったアブドゥル=マリク(ムハンマド・アル=ムタワッキル)は自らも軍を率いてタンジェ上陸したポルトガル軍迎撃した。1578年8月4日両軍会戦したアルカセル・キビールの戦いは、ポルトガル国王セバスティアンモロッコの前スルターンであるムハンマド2世と、現スルターン・アブドゥル=マリク三者一堂会したため「三王の戦い」とも呼ばれるが、アブドゥル=マリク率いサアド朝軍の勝利終わったものの、激戦となったため「三王全員戦死するという事態となった。セバスティアン王の戦死の後、フェリペ2世ポルトガル王位の継承要求したため、この戦い1640年までポルトガルハプスブルク家の王を戴くスペインとの同君連合となる契機となってしまった。またモロッコではアブドゥル=マリク死後、弟のアフマド・アル=マンスール即位しサアド朝最盛期迎える。イングランドエリザベス1世サアド朝アブドゥル=マリク援助したのは、北アフリカモロッコ君主位を巡りスペインポルトガル介入する国際紛争的な様相呈した時期であった1600年モロッコの配者となったサアド朝のスルターン・ムーラーイ・アフマド・アル=マンスール英語版)(Mulai Aḥmad al-Manṣūr)は、主要な秘書であるアブド・エル・オウアヘッド・ベン・メッサオウド(英語版)(アブル=ワーヒド・ブン・マスウード ‘Abd al-Wāhid b. Mas‘ūd)をエリザベス1世宮廷へ大使としてイギリスへ派遣したアブルワーヒド一行は、エリザベス宮廷に6ヶ月滞在しスペイン対す同盟交渉したモロッコ支配者イギリス艦隊スペイン侵攻するのを援助するつもりであったが、エリザベスはこれを断った。しかし、保証のために大使館建てることを歓迎し、さらに、商業協定締結したのであるエリザベス1世艦隊派遣のために10万ポンド要求し、スルターン・アフマドはお金を送るための大型帆船要求するなどしながら二人さまざまな共同軍事計画議論したエリザベス1世は「軍需品モロッコに送ることに同意し、彼女とムーライ・アフマド・アル=マンスールはしばしば、スペイン対す共同作戦話し合った」。しかし、議論決定することなく推移し大使館設立後二年以内両方統治者逝去した。

※この「北アフリカ諸国とイギリスの同盟」の解説は、「オスマン帝国の対プロテスタント政策」の解説の一部です。
「北アフリカ諸国とイギリスの同盟」を含む「オスマン帝国の対プロテスタント政策」の記事については、「オスマン帝国の対プロテスタント政策」の概要を参照ください。

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