北アフリカ戦線での独ソ戦開始の影響(1941年6月~1942年5月)
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「地中海戦域 (第二次世界大戦)」の記事における「北アフリカ戦線での独ソ戦開始の影響(1941年6月~1942年5月)」の解説
1941年6月、ドイツは突如ソ連に侵攻、空軍を地中海から東部戦線に引き抜いた。ドイツ空軍の脅威が薄らいだため、マルタの少数の艦艇・潜水艦がイタリアからリビアのトリポリ・ベンガジへ向かう事態が相次ぎ、イギリス軍が北アフリカでの反攻を本格化し11月のクルセーダー作戦で、一旦包囲されていたトブルクを解放し、ロンメルをリビア奥地へ押し戻した。 冬季に入ると、ロシアの悪天候では使用できないドイツ空軍が一時的にシチリアに戻り、1942年5月ガザラの戦いでトブルクが陥落、イギリス軍はアレクサンドリアの目前のエル・アラメインに決戦陣地を敷いた。
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