北アフリカ到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「北アフリカ到着」の解説
1941年2月12日昼にロンメルは北アフリカ・リビアのトリポリ空港に降り立った。しかし戦車の輸送は困難であり、アフリカ軍団の戦車部隊が最初に到着したのは3月11日、第15装甲師団は5月にならねば到着しなかった。 ロンメルはただちにイタリア北アフリカ派遣軍司令官イータロ・ガリボルディ大将(解任されたグラツィアーニ元帥の後任)と会談した。この時英軍はエル・アゲイラ(en)で停止していたが、更に西進してくると思われた。ガリボルディ将軍はトリポリ近くに防衛線を築く事を希望したが、ロンメルはエル・アゲイラ西方300キロのシルテに陣を置いて英軍に攻勢をかけることを希望した。ロンメルはベルリンとローマにシルテへの進軍を認めさせた。シルテにイタリア軍2個歩兵師団と戦車師団を派遣し、ここに陣地を作らせた。2月14日にドイツ軍の偵察大隊と砲兵部隊がトリポリに到着した。トラック、装甲車、大砲など6000トンの揚げ降ろしを夜通しで行わせ、彼らもシルテへ急行させた。とはいえ戦車はまだ到着しなかったので、ロンメルはフォルクスワーゲンの車に細工して偽装戦車を作らせている。 2月17日には英軍の動きが活発になり、エル・アゲイラから若干の西進を開始した。独伊軍も活発になったと見せかけるため、ロンメルはシルテの独伊軍に若干の東進を命じた。2月24日になって初めて英独で小規模な小競り合いが発生したが英軍はすぐに撤退した。ロンメルが感じたのは英軍は予想より脆弱で前進の意思がないということだった。実はエル・アゲイラの英軍はウィンストン・チャーチルの要望でギリシャに兵力を割かれていたため、弱体化していた。加えてリチャード・オコーナー中将がエジプト司令官に栄転し、砂漠戦に不慣れなフィリップ・ニーム中将(en)がキレナイカ駐留英軍の司令官に就任していた。また英軍側の北アフリカ戦線責任者である英軍中東軍司令官アーチボルド・ウェーヴェル大将はドイツ軍の集中状況から見て5月以前にドイツ軍が攻勢に出てくることはなかろうと判断していた。
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