加越鉄道ナハフ101・102
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「阪急96形電車」の記事における「加越鉄道ナハフ101・102」の解説
本形式の種車となった加越鉄道ナハフ101・102は、前述のとおり1929年に日本車輌製造において製造された半鋼製客車である。 鉄道省が当時増備していたオハ31形に範をとった構造で、車体長約17m、車体幅約2.75m、側面窓配置はD33333D(D:客用扉)、妻面には貫通扉のほかハンドブレーキが突出して取り付けられており、その上にカバーが飛び出していた。台車は当時の鉄道省標準型台車であったイコライザー式のTR10系である。屋根はオハ31形とは異なり丸屋根で、中央にはガーランド型ベンチレーターが7基取り付けられていた。溶接技術が進歩したことから、リベットもウインドシル・ヘッダーや車体裾部、扉周囲での使用にとどめられている。内装は車端部の窓3枚分ずつがロングシート、中央部の窓9枚分がクロスシートで、固定式の背ずりの低いクロスシートが6組配置されていた。客用扉は内開きで、降雪地帯を走ることからデッキと客室の間には中央に引戸を置いた仕切が設けられていた。 同車はオハ31形に準拠しながら丸屋根の採用やリベットレス化を図るなど新機軸も採り入れており、後年にナハ22000系事故車の復旧工事で登場したオハ30形によく似た形態の車両である。当時の地方私鉄の多くが鉄道省払い下げの木造客車を主に使用していたことに鑑みると、省線最新鋭形式に準拠した客車の新造は異例かつ意欲的な事例であった。 ところが同じ時期に日本ではローカル線の小単位輸送に適した内燃動車の技術開発が著しく発達し、取引先の日本車輌製造が大型ガソリンカーを開発するようになったことで、加越鉄道も1931年に同社初のガソリンカーであるキハ1~3を日本車輌で新造、好成績を収める。そして翌1932年には、日本国内向けのディーゼルカーとしては黎明期の事例に属するキハ11を増備するという挑戦に及んだ。この時点で旅客輸送の大半は気動車化され、 1934年には開業以来使用していた2軸客車の使用をやめ、客車はナハフ101・102の2両だけとなってしまった。 その後、キハ11の成績が良好であったことから、加越鉄道は旅客輸送を実質的に完全気動車化することになった。1937年に日立製作所製100PSディーゼル機関搭載で、当時の国内向けディーゼルカーでは最大級のキハ12・13を増備したのである。 ここに至って従来客車を使用していた混合列車も気動車を客車代用として連結する事態となり、結果、ナハフ101・102は製造後10年に満たない車齢ながら、2両とも余剰となり留置されていた。
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