加越能高速鉄道計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 09:38 UTC 版)
加越能鉄道の本来の設立目的である加越能高速鉄道計画は、富山 - 金沢、高岡 - 七尾の2つの路線の計画があった。富山 - 金沢については既に北陸本線(現在のあいの風とやま鉄道、IRいしかわ鉄道)があったが、加越能鉄道の計画は両都市を直線状に結び、かつ北陸本線が非電化の時代に電車を使用し、国鉄の半分の時間で走るというものであった。 1953年(昭和28年)2月27日に両路線の免許を申請し、1954年(昭和29年)5月に免許が下りたが、免許されたのは富山 - 金沢のみで、高岡 - 七尾については保留とされた。富山 - 金沢間の経由地を高岡に変更した上で1959年(昭和34年)12月に工事認可が下り、電鉄富山駅 - 太閤山(小杉町(現・射水市)) - 地鉄高岡駅の路線について用地買収を開始した。 1965年(昭和40年)頃までに予定の半分まで用地買収が終わっていたが、モータリゼーションの急速な進行により加越能鉄道・富山地鉄ともに乗客が減少したことや、北陸本線が複線電化されスピードアップが行われたこと、高度経済成長による地価の高騰など情勢の変化により、1970年(昭和45年)に計画中止、翌1971年(昭和46年)に起業廃止を申請した。買収された線路用地は富山県に買い取られ、中央サイクリングロード(富山県道370号富山庄川小矢部自転車道線の一部)として転用されている。 予定では、電鉄富山駅を起点として、富山市街地を松川右岸の高架線、安野屋を経て神通川を渡り、新富山、富山大学の南側、下野、寺町を経て呉羽丘陵をトンネルで抜け、呉羽、花ノ木、中老田、塚越、黒河、太閤山、水戸田、庄川を渡り、蓮花寺、大野、新高岡駅というルートとなっていた。
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