前輪駆動車の普及へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:46 UTC 版)
大衆向けの量産前輪駆動車は、1931年にドイツで開発された500 ccエンジン搭載の「DKW・F1」がその嚆矢となった。DKWの成功に続いて、アドラーも1932年発売の小型車「トルンプ」で前輪駆動を採用。1933年にはDKWと同じアウトウニオン・グループのアウディから、前輪駆動の中型車アウディ・UW 220が発売された。リアエンジンが流行していた当時のドイツであったが、アウトウニオンとアドラーは小型車での前輪駆動に傾倒し、他方では1949年のサーブ・92や1957年のトラバントなど、社会主義国のメーカーにも影響を与えた。 ドイツでのトレンドはフランスにも飛び火した。1934年に発表されたフランスの中型車シトロエン・トラクシオン・アバンは、従来同様の縦置きエンジン車ではあったが、前輪駆動のメリットを最大限に生かし、全金属車体の軽量低床構造などの先進設計も導入して高性能を達成、1957年まで長く生産された。第二次世界大戦以前の前輪駆動車としては最も成功した事例と言える。以後シトロエンは前輪駆動の先駆メーカーとして、広範な車種に前輪駆動を採用した。 また、パナール社やDB社が、軽量・コンパクトなボディを活かした前輪駆動のスポーツカーやレーシングカーを次々に開発しており、一定の成功を収めている。 同時期、後輪駆動車にも共通して、車両前方に50%かそれ以上の荷重をかけて直進安定性を高めるアンダーステア型の重量配分が普及するようになり、小型前輪駆動車ではエンジンを前車軸上や前車軸前方へのオーバーハングに配置して駆動力不足を克服する傾向が生じた。1955年のシトロエン・DSでは、前輪荷重比率を70%近くにまで高めて十分な駆動力を確保したほか、1960年代に富士重工業(現・SUBARU)が前輪駆動の導入に向けた研究を開始した際には、実車を用いた試験によって「前輪荷重比率60%程度以上を確保できれば、後輪駆動車と遜色ない実用駆動力が得られる」ことを確認している。 これによって第二次世界大戦後に至り、ヨーロッパの小型乗用車を中心に、引き続き等速ジョイントの性能問題を抱えながらも徐々に前輪駆動が広まっていった。
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