前史 技術開発者マキノとは? わかりやすく解説

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前史 技術開発者マキノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 00:40 UTC 版)

マキノトーキー製作所」の記事における「前史 技術開発者マキノ」の解説

マキノの父・牧野省三早くからトーキー取り組んでおり、マキノ・プロダクション時代1929年昭和4年)にはディスク式トーキー作品戻橋』(監督マキノ正博)を製作、全国的なヒット生んだが、興行現場で映写技師シンクロ苦労し苦情殺到していた。 1931年昭和6年)に松竹が「国産初のトーキー映画とされるマダムと女房』(監督五所平之助)を発表、翌1932年昭和7年)から松竹日活月形陽候プロダクション片岡千恵蔵プロダクション新興キネマ新映画社[要曖昧さ回避]、音映の各社数本ずつのオール・トーキー、サイレント映画トーキー部分織り込んだパート・トーキー、サイレント音楽活弁収録したサウンド版製作しはじめた1933年昭和8年)、マキノ正博は、亡くなった父・省三の代からの横田永之助との確執から日活馘首された。これからトーキーだと確信していたマキノは、退職金の2,000円(当時)の半分握って上京日本国粋会太田進一率い牛込区神楽坂現在の新宿区神楽坂)の音映で、同社技術スタッフたちとともに録音撮影機材研究・開発没頭した新機材を開発したマキノは、音映の京都支社新設して録音技師として各社下請けをし、録音技術研鑽積んだ1935年昭和10年)、神戸千鳥興業専務取締役宗田政雄が京都マキノ訪れ、「月間トーキー2本、サウンド版2本、年間48プログラム」の生産ペース前提に、配給と製作費の出資をする旨の申し入れをした。ついては12月中旬から第1作公開したいので、11月からクランクインしてほしいというこの申し入れに、マキノ考え込んだが、笹井末三郎撮影所用地調達して励ましマキノはついに新会社設立決意をした。

※この「前史 技術開発者マキノ」の解説は、「マキノトーキー製作所」の解説の一部です。
「前史 技術開発者マキノ」を含む「マキノトーキー製作所」の記事については、「マキノトーキー製作所」の概要を参照ください。

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