新興キネマ
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新興キネマ株式会社(しんこうキネマ)は、かつて第二次世界大戦前に存在した日本の映画会社である[1][2][3]。1931年(昭和6年)8月28日、帝国キネマ演芸を組織変更する形で設立、帝国キネマ太秦撮影所(現在の東映京都撮影所)を引き継いで生産拠点とした[2]。1934年(昭和9年)10月には、東京(大泉)撮影所(現在の東映東京撮影所)を新設した[4]。戦時統合のため1942年(昭和17年)1月10日、日活の製作部門および大都映画と合併して大日本映画製作株式会社(大映)を形成して消滅した[2]。2つの撮影所のほかに、11の映画館を直営した[5]。
- ^ a b c d e f g h 新興キネマ株式会社 労働争議 1, 2, 3, 4、法政大学大原社会問題研究所、2014年4月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j わが町八丁堀 歴年表、中央区八丁堀二丁目東町会、2010年1月23日閲覧。
- ^ a b c 新興キネマ本社跡、中央区八丁堀二丁目東町会、2010年1月23日閲覧。
- ^ a b c 筈見[1942], p.179.
- ^ a b c d 年鑑[1942], p.10-24,27,28,34,40,43,47,49,53.
- ^ 大西[1993], p.76.
- ^ a b 1931年 公開作品一覧 591作品、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
- ^ 風雲長門城、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
- ^ 何が彼女を殺したか、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
- ^ 1935年 公開作品一覧 477作品、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
- ^ 唐人お吉、日本映画データベース、2014年4月16日閲覧。
- ^ 田中[1976], p.318.
- ^ 松竹[1964], p.364.
- ^ 新興が吉本から人気者引き抜き『大阪毎日新聞』(昭和14年3月31日夕刊)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p741 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 年鑑[1961], p.671.
- ^ 芳賀[1996], p.401.
- ^ 澤田[2002], p.69.
- 1 新興キネマとは
- 2 新興キネマの概要
- 3 映画館
- 4 脚注
固有名詞の分類
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