内外相対(ないげそうたい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 00:48 UTC 版)
「五重相対」の記事における「内外相対(ないげそうたい)」の解説
内外相対とは、内道(仏教)と、外道(中国の儒教・道教などやインドの宗教やキリスト教等の仏教以外の教説)とを比較相対して、その勝劣相対を示したもの。 内とは、内道(ないどう)のこと。仏教のことをいう。過去・現在・未来の三世にわたる因果の理法を説く。 外とは、外道(げどう)のこと。仏教以外の教説のことをいう。因果の理法を説かない。 この考え方は、人間の内面の在り方に視点を置き教義を説く内道の仏教が優れていることを明かすものである。特に、過去・現在・未来の三世の因縁果を説くかが最大の違いである。三世の因縁果を説く意味合いは、親が存在し、自分自身が存在し、先祖が存在し、また子供等の存在に繋がるという生命の連綿性を見出すことでもある。 仏教以外の教説は、いずれも三世の因果を無視あるいは部分的な浅い因果しか説かないが、内道の仏教は、過去・現在・未来の三世を明らかにし、それは過去世の時代に何らかの「原因」の種が蒔かれており、現世において生じた各種事象(「結果」)が導かれるという考え方で、真の因果の道理を説いている。 例えば、儒教・道教は、その視点は現世だけにあり、過去世・現在世・未来世の三世の因果を説かない。インドのバラモン教などでは、三世の因果を説くものもあるが、運命の変革の可能性を説かない。ヒンズー教のカースト制はその例と言える。キリスト教も古い教説では因果の概念を有していたようであるが、今はその片鱗も見受けられない。さまざまな因果説が存在するが、釈迦の教説のような三世の因果を説かない。 それに対して仏教(内道)では、人間の内面に変革の可能性があることを洞察し、今世の行いによって、苦悩を安心へ、不幸を幸福へと転換できることを説く。
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