党内主流派との妥協
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:48 UTC 版)
公職選挙法改正、政治資金規正法改正、独禁法改正と並んで三木政権の重要課題とされたのが経済再建と財政危機への対応であった。三木は経済政策については福田副総理兼経済企画庁長官に委ねたが、福田と田中内閣から留任した大平蔵相との間に経済運営を巡って対立が表面化した。福田はインフレ抑制を優先して総需要抑制策を継続させた。厳しい経済情勢下では当然財政支出の切り詰めも図ったが、物価が高騰する中で歳出削減は困難を極めた。歳入欠陥を恐れた大平は公共料金の引き上げを考えるが、物価への影響を恐れる福田は引き上げに否定的であった。結局、電信、電話料金の据え置き、酒、タバコ、郵便料金の引き上げという妥協が成立した。 しかし酒、タバコ値上げ法案は公職選挙法改正、政治資金規正法改正、独禁法改正についての審議のあおりを受け、廃案になってしまった。結局あてにしていた酒、タバコ値上げによる収入が得られなくなったこともあって大幅な歳入不足が発生し、大平は三木に対する不信感を深める結果となった。 公職選挙法改正、政治資金規正法改正、独禁法改正問題や、タバコ値上げ法案の廃案という事態の中、自民党内では反三木の動きが顕在化するようになった。三木としても体制の建て直しに乗り出さざるを得なくなり、自民党内の三木を批判する勢力に対する融和策を矢継ぎ早に実行していく。 まず酒、タバコ値上げ法案の早期成立を図るため、臨時国会の早期召集を決定した。これは大平蔵相に対する融和策であった。そして独禁法改正案の臨時国会提出を行わないこととして、椎名副総裁に対しても融和策を取った。そして党内の保守派に対しての融和策として、8月15日の終戦記念日に首相としては戦後初めて靖国神社に私的参拝した。なお、同年11月21日を最後に昭和天皇の靖国神社参拝は途絶えることになるが、天皇の靖国神社参拝が途絶えた理由として、三木が靖国問題を政治問題化したためという説と、元宮内庁長官であった富田朝彦のメモを根拠とするA級戦犯の靖国神社合祀問題の影響であるとの説がある。 また、椎名裁定の当日に三木が親台湾派の椎名に持ちかけた話ではあったが、7月上旬に台北で日華民間航空に関する協定が調印され、1974年(昭和49年)4月の日中航空協定調印後、一時中断していた日本と台湾間との航空路が復活した。そして9月には金大中事件により中断していた日韓定期閣僚会議が再開されて日韓関係の改善を進めた。このように三木は党内保守派が重視する台湾、韓国との関係改善を進めたが、これは党内批判勢力への融和策の一環でもあった。
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