信濃電気の拡大とは? わかりやすく解説

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信濃電気の拡大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 18:32 UTC 版)

長野電灯」の記事における「信濃電気の拡大」の解説

長野電灯開業以後長野県下では1899年松本電灯1900年飯田電灯下伊那郡飯田町)・諏訪電気諏訪郡上諏訪町)、1902年明治35年上田電灯小県郡上田町)の順で新たに電気事業開業していく。隣接する山県でもこの間1900年甲府電力開業している。こうした流れの中の1903年明治36年12月長野県内6番目の電気事業者として信濃電気株式会社開業した。この信濃電気は、長野市東方信濃川千曲川東岸にあたる上高井郡須坂町(現・須坂市)に設立され電力会社である。創業者同地製糸業を営む越寿三郎信濃川水系米子川出力120 kW米子発電所設け開業初期には須坂町やその北側下高井郡中野町(現・中野市)に供給した信濃電気開業同時期、長野電灯でも事業の拡張をなすべく新発電所の建設決定した新発電所は芋井発電所といい、既設茂菅発電所から見て裾花川の上流約2キロメートル地点にあたる、上水内郡芋井村大字入山(現・長野市入山)に位置する芋井発電所使用認可1905年明治38年4月29日付で、出力当初250 kW1907年明治40年12月以降550 kWである。長野電灯では芋井発電所建設機に1904年明治37年7月翌年7月2度にわたり電灯料金引き下げ需要開拓努めた市外への供給区域拡大1904年4月より着手し芋井村皮切りに安茂里村小田切村へと順次広げていった。長野電灯電灯数は1907年1万灯へ到達。また1906年明治39年)より電灯供給加えて動力用電力の供給追加された。 一方信濃電気では、1906年に、新潟県となっている関川上流部高沢発電所新設した。発電所出力600 kW(のち3,950 kW)と大型であり、長野市内の需要増加あわせて発電所の新増設重ねていくという長野電灯堅実経営とは対照的な信濃電気積極経営方針現れている。両社間には供給区域拡がりにも差があり、逓信省資料によると1908年明治41年)末時点における長野電灯供給区域長野市内のほかには芋井村安茂里村小田切村未開業)と芹田村所在長野駅構内限られたのに対し信濃電気供給区域須坂町中野町のほか長野電灯区域外縁部(上水内郡吉田村三輪村芹田村など)を含み、さらに千曲川上流側埴科郡松代町屋代町更級郡稲荷山町にも及ぶ。加えて長野電灯区域重複する形で長野市一円電力供給区域電灯供給不可)も設定していた。信濃電気長野市進出強化一環として1906年5月市内西後町支店開設している。 長野電灯では1900年代には2度増資が行われており、まず1903年12月7万円増資が、次いで1907年1月75000円増資それぞれ決議され資本金は8万円から225000円拡大された。経営面ではこの間1906年1月小坂善之助病気療養のため会長から退き娘婿花岡次郎その後任された。直後役員録には、会長花岡次郎のほかには前島元助羽田定八・水品平右衛門長野セメント石炭商)・諏訪部庄左衛門長野肥料商)の4名が取締役務めるとある。

※この「信濃電気の拡大」の解説は、「長野電灯」の解説の一部です。
「信濃電気の拡大」を含む「長野電灯」の記事については、「長野電灯」の概要を参照ください。

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