代々幡村と京王電鉄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 04:42 UTC 版)
代々幡村は京王グループ創業の地である。京王電気軌道(現:京王電鉄)は、1910年(明治43年)9月21日、資本金125万円(払込資本金31万2500円)で設立、本店を東京府豊多摩郡代々幡村大字代々木字山谷291番地に置いた。翌1911年(明治44年)7月4日には電気供給事業経営の許可を受け、同年10月10日に本店を代々幡村大字代々木207番地へ移した。 1912年(明治45年)4月に代々幡村を含む新宿 - 調布間の鉄道路線を開業すべく線路敷設の第1期工事を開始、同1912年(大正元年)8月には府中火力発電所の建設および調布町 - 府中町 - 西府村の電灯線工事を開始、年末までに完成した。1913年(大正2年)1月1日より調布町、多磨村、府中町、西府村へ送電を開始、これらの地に電気の灯を点した。同年4月15日には京王線の笹塚 - 調布間が開通、同時に未成区間の補助として新宿 - 笹塚間および調布 - 国分寺間で東京では初となる乗合自動車事業(現:京王電鉄バス)を開始した。同年8月31日には本店を代々幡村大字幡ヶ谷1045番地に移している。そして同年10月11日、京王線が代々幡駅まで延伸され、この地に鉄道がもたらされることとなった。 鉄道開通により、1914年(大正3年)2月1日をもって調布方面の乗合自動車営業を休止。同年4月8日には幡代小学校付近の幡代小学校前駅が開業、6月11日には代々木駅、同年11月19日には天神橋駅および新町駅が開業し、京王線は新宿へ向かって順次延伸されてゆく。翌1915年(大正4年)3月31日に葵橋駅、同年5月1日に停車場前駅(のち省線新宿駅前駅に改称)が開業、同年5月30日には新宿追分交差点に新宿追分駅が開業し、京王電気軌道の路線がついに調布から新宿まで到達した。 調布から府中方面への延伸工事も開始され、1916年(大正5年)6月1日には調布 - 多摩川原間が開業(のちの京王相模原線区間)、9月1日には調布- 飛田給間が開通、10月31日には府中駅が開業し、京王線の新宿 - 府中間が全通した。その後、玉南電気鉄道を1925年(大正14年)3月24日に府中 - 東八王子間で全線開業させ、1926年(大正15年)12月4日に京王電気軌道に合併。翌1927年(昭和2年)10月28日、本社ビル「京王新宿ビルディング」の完成に伴い新宿追分駅をビル1階へ移転し、本社を代々幡から新宿へ移転した。ここまでの京王の黎明期の歴史は、創業の地である代々幡で行われたのであった。 代々幡駅は、現在の京王線の初台駅と幡ヶ谷駅の間にあり、現在の幡代小学校の前より幡ヶ谷寄りにあった。その後、1934年(昭和9年)1月19日に「幡ヶ谷本町駅」へ改称され、さらに1937年(昭和12年)9月1日に「幡代駅」へ改称された上、戦時中の1945年(昭和20年)7月24日に廃止された。付近には京王バス東(渋63・渋66系統)、渋谷区コミュニティバス「ハチ公バス」春の小川ルート(京王バス東・永福町営業所が運行)の「幡代」バス停留所が現存する。 また1939年(昭和14年)7月21日、京王電軌の代々木駅は「西参道駅」へ改称、代々幡駅と同時に不要不急駅として廃止されている。京王バス東と新宿区コミュニティバス「新宿WEバス」(京王バス東・中野営業所が運行)の「西参道」停留所として現存する。 「京王線の新宿駅付近の廃駅」、「京王電鉄#歴史」、および「京王電鉄バス#沿革」も参照
※この「代々幡村と京王電鉄」の解説は、「代々幡町」の解説の一部です。
「代々幡村と京王電鉄」を含む「代々幡町」の記事については、「代々幡町」の概要を参照ください。
- 代々幡村と京王電鉄のページへのリンク