二月革命・ロシアへの帰国と四月テーゼの発表とは? わかりやすく解説

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二月革命・ロシアへの帰国と四月テーゼの発表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:58 UTC 版)

ウラジーミル・レーニン」の記事における「二月革命・ロシアへの帰国と四月テーゼの発表」の解説

1917年2月二月革命首都ペトログラード開戦時サンクトペテルブルクから改称された)で勃発しロシア皇帝ニコライ2世退位した権力を掌握した国家ドゥーマによってロシア臨時政府樹立されロシア帝国は「ロシア共和国」へと改革された。スイス二月革命について知らされレーニンは、他の反体制活動家らと共に革命発生祝ったレーニンボリシェヴィキ指導するためロシア帰国する意思固めたが、戦争によりほとんどの帰国ルート封鎖されており、唯一の方法ドイツ帝国国土通過することだった。ドイツ政府レーニンのような反体制分子敵国ロシア混乱もたらす判断し、彼とその妻を含む32名のロシア人封印列車ロシア語版)に乗り込みドイツ領内通過して母国へと向かうことを許可したレーニンらの一行封印列車チューリヒからドイツザスニッツ英語版)に移動した後、スウェーデン経由してヘルシンキへと向かい、そこからペトログラード行き最後列車乗り込んだ1917年4月ペトログラードフィンリャンツキー駅到着したレーニンは、ボリシェヴィキ支持者らに向けて演説行いロシア臨時政府厳しく批判すると共に、全ヨーロッパでプロレタリア革命という主張繰り返したその後数日間にはボリシェヴィキの諸会議出席してメンシェヴィキとの融和主張する党員譴責すると共にスイスからの旅の途中で書き上げた四月テーゼ』を党の綱領案として発表したレーニン権勢あるペトログラード・ソビエト(英語版)を支配しているメンシェヴィキ社会革命党ロシア臨時政府協力していることを非難し両者社会主義の裏切り者として糾弾した。そして、臨時政府ツァーリ政府同程度帝国主義的であると定義しプロレタリア政権樹立して社会主義社会へ向かうための手段として、ドイツおよびオーストリアハンガリーとの即時和平ソビエトへの権力集中産業銀行の国有化国家による土地収用などを提唱した対照的にメンシェヴィキロシアがまだ社会主義社会移行する段階達していないと考えており、レーニン誕生したばかりの新共和国内戦へ導こう試みていると批判したその後数カ月間、レーニンは自らの綱領広めるための運動励みボリシェヴィキ中央委員会の諸会議出席し、党機関紙プラウダ』に多く寄稿する一方で労働者兵士農民水兵からの支持を得るため、ペトログラード街中大衆向けた演説行った。特に、ソビエトへの権力集中要求は「すべての権力ソビエトへ」のスローガンとともに喧伝された。のちにレーニンは、このスローガンが「我々によって広範な一般大衆意識植え付けられ」、十月革命におけるボリシェヴィキ勝利を容易にしたと述懐している。 1917年7月ペトログラード兵士たちによる反ロシア臨時政府武装デモ (七月蜂起) が発生したが、その武装デモ関わるボリシェヴィキ求心力低下狙った臨時政府は、「レーニンドイツスパイである」との情報新聞社ペトログラード駐留部隊に対して流出させた。結果としてレーニンおよびボリシェヴィキ支持急落し武装デモ参加した部隊臨時政府側の部隊次々と武装解除され、武装デモ鎮圧された。臨時政府レーニンと他のボリシェヴィキ幹部逮捕令を発したが、レーニン逮捕逃れペトログラード市内多く隠れ家転々としつつ潜伏した。 臨時政府殺害されることを恐れたレーニングリゴリー・ジノヴィエフ変装してペトログラードから逃走し、ラズリーフ湖(英語版周辺拠点移したレーニン逃亡成功したものの、臨時政府により多くボリシェヴィキ幹部逮捕されボリシェヴィキ勢力一時的に大きく後退することになった。ラズリーフでレーニンはのちに『国家と革命』として出版される本の執筆開始した同書では自らの国家観提示しプロレタリア革命後の社会主義国家発展することでいずれ国家消滅し純粋な共産主義社会を残すのみとなる過程について論じたこの頃レーニンボリシェヴィキ武装蜂起起こして臨時政府転覆することを主張し始めたが、秘密裏開かれた党中央委員会レーニン提案退けられた。その後列車徒歩フィンランド向かい8月10日にはヘルシンキ到着し当地ではボリシェヴィキ支持者所有する隠れ家潜伏した。

※この「二月革命・ロシアへの帰国と四月テーゼの発表」の解説は、「ウラジーミル・レーニン」の解説の一部です。
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