与那国島
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与那国島(よなぐにじま、与那国語: どぅなんちま)は、南西諸島八重山列島の島。日本の最西端に位置する島で、国境の島と呼ばれる[3]。
注釈
- ^ 正確な日本の最西端の地点は、2019年6月に初めて国土地理院の2万5千分1地形図に掲載されたトゥイシという岩で、西崎の北北西約260 mに位置する(位置は北緯24度27分05秒 東経122度55分57秒 / 北緯24.45139度 東経122.93250度[5])[5][6]。ただし、国土地理院はトゥイシの場所を与那国島に含めている[7]。
- ^ いくつかの山は富士山より標高が高い。言い換えれば、日本国内から見える山で最も標高が高いのは富士山ではないということになる。
- ^ なお、港、湾、河川では、港、湾の奥部又は河川の上流が水源とされる。また、瀬戸内海の水源は神戸港、宇高航路の水源は宇野港、八代海の水源は三角港と定められている[17]。
- ^ 「土根」と書く。今でも、田を耕した跡に土が盛り上がって水面上に出ているところを「どぅにむい」という[25][26]。
- ^ オカヤドカリのこと。太平洋からインドにかけての熱帯地域に広く分布する反面、日本本土での生息数は少ない。与那国方言では「アマンブ」。「アマンブ」の語源を、南方のオーストロネシア語族に求める考え方もある。オーストロネシア人とはオカヤドカリの方言、伝承、創世神話、ハジチの文様、風葬との関連性などを検討されている。
- ^ 「ティダン」は太陽、「ドゥグル」は場所を指す。すなわち、陽にあたる場所といっていい。与那国島祖納集落の「ナガミティ」(中道)付近、字与那国三三八番地がそこ。かつては、集落の大事なことを吟味する集会所にも使われた。
- ^ 「仲間曽根」と書く。「ナガマド」ともいう。旧島仲村の東南にあり、島の中央にある丘である。石灰岩と砂岩からなり、二枚貝の化石がある。
- ^ 旧島仲村の東、「ブシキ」というところの畑の中にある。「アブ」とは洞窟のことである。
- ^ 犬神と書く。「野底原」というところにある。大正時代までは密林だったが、今では開墾されて畑になっている。大きな洞穴があり、底には清水が流れている。その小川を「イヌガン・カラ」という。女と犬の同棲物語は宮古島の創世神話にもある。イギリス人宣教師ジョン・バチェラーの著書によると、アイヌの伝説にもある。また、元台北帝大の金関丈夫教授の著書「胡人の匂ひ」にも、海南島から中国南部一帯に同様の話があることが書かれている。
- ^ 犬の死骸を埋めた場所を「イタ」という。「イヌガン」の東南に大きな平たくて黒い石がある。その石が「イタ」である。その下に犬の死骸が埋められていると伝えられている。
- ^ 年代については、1513年以前とする説等、諸説がある[34]。
出典
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