ふう‐そう〔‐サウ〕【風葬】
ふうそう〔フウサウ〕【風葬】
風葬
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風葬(ふうそう)は、死体を埋葬せず外気中に晒して自然に還す葬制。曝葬(ばくそう)、空葬(くうそう)ともいう。
- ^ 堀一郎『民間信仰』(岩波全書、 1951年) 222頁
- ^ 内堀基光・山下晋司『死の人類学』
- ^ 内堀基光・山下晋司『死の人類学』208頁
- ^ 内堀基光・山下晋司『死の人類学』194頁
- ^ 内堀基光・山下晋司『死の人類学』157 - 163頁。ただ、この「神霊化」は若死になどの、不慮の死者に対しても用いられる。
- ^ 関 & 永峯 2000.
- ^ a b c 岸田緑渓『親鸞と葬送民俗』(星雲社、 2013年) ISBN 9784434182921 pp.48-53.
- ^ 『本朝変態葬礼史』:新字新仮名 - 青空文庫
- ^ 伊波普猷「をなり神の島」「南島古代の葬制」より。「をなり神の島」は『伊波普猷全集 第5巻』1974年に所収されている。
- ^ a b 『葬と供養』1992年「1 葬法論 - 凶癘魂と鎮魂 3 自然葬法と鎮魂 7 久高島の風葬」より。
- ^ 鹿児島県庁が発した沖永良部島への諭達など。『沖永良部諸改正令達摘要録』には「爾来地葬すべきは当然に候処或る所は其棺を墓所に送り、モヤと唱ふる小屋内に備置き、親子兄弟等此モヤに到、其棺を開き見る数回、終に数日を経屍の腐敗するも臭気も不厭赴に相聞、右は人情の厚きに似たれども、其臭気を嗅ぐものは甚だ健康を害し候は勿論、近傍通行の者いへども、其臭気に触るれば病を伝染し、或は一種の病気を醸すものに有之、衛生上甚だ不宜事に付、自今右様之弊習は此度相改め云々」と記されている。
- ^ 『葬と供養』1992年「1 葬法論 - 凶癘魂と鎮魂 3 自然葬法と鎮魂 7 久高島の風葬」によれば、久高島では昭和41年(1966年)に行われたイザイホー神事の際、ある事件が起こり島民は風葬を廃止することとした。同書によれば、過疎化の進む久高島で、これがもう最後の神事になるかもしれないというので、多くの報道陣を受け入れたが、その中のカメラマンが風葬が行われている後生(グソー)に入って墓を写真にとるばかりか、棺をしばる太い針金を切って死者の写真を撮るという墓荒らしを行った。しかもこの写真は、ある好奇心の強い太陽の好きな前衛画家の見学記に入れて週刊誌に載せられた。慟哭するほどのショックを受けた島民は、告発することも考えたが、犯行責任の所在を問うことが困難なので、おとなしい島民らしく風葬を廃止することとした。久高島では、この後5年ほどで完全に土葬と火葬に転換したのだと言う。著者の五来重は「…(風葬は)自然死のように消えるのがのぞましいのであって、久高島の風葬は非業の死であり、頓死であった。」と述べて、この事件を非難している。
- ^ 『桜井徳太郎著作集6 日本シャマニズムの研究 下 ‐ 構造と機能 ‐』1988年「第9章 死の儀礼と巫俗 - シャーマンと葬墓制 - 第2節 葬墓制と巫俗 3 葬墓制とその推移」より。
- ^ 実際には虫の事であるが、敢えて比喩的表現とする。
- ^ 比嘉康雄『日本人の魂の原郷・沖縄久高島』(集英社新書)41頁
- ^ 【風紋】沖縄の風葬骨、京大に返還請求 問われる帝国の残滓『日本経済新聞』朝刊2019年12月16日(社会面)2019年12月28日閲覧
- ^ それらの遺骨は集められ、島尻集落に一時的に菩薩像が建てられたが、現在菩薩像は移動している。なお、発見された時に関係家族に問い合わせたところ、一軒から先祖のものであるとの回答があった。
- ^ マーク・ハドソン・種石悠「宮古島市島尻所在長墓の2006年度調査概況」(『筑波大学先史学・考古学研究』18号、2006年)
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