上御堂の仏像とは? わかりやすく解説

上御堂の仏像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 23:24 UTC 版)

法隆寺の仏像」の記事における「上御堂の仏像」の解説

御堂(かみのみどう)は、西院伽藍北方大講堂北裏小高いところに建つ仏堂須弥壇上に釈迦三尊像四天王像安置する堂内通常非公開11月1日から3日のみ公開される木造釈迦如来及び両脇侍像 国宝平安時代像高中尊230.0センチ、左脇侍154.2センチ、右脇侍150.2センチ中尊両脇侍(文殊菩薩普賢菩薩)とも坐像作るサクラ材の一木像で、脇侍像の両腕と各像の台座は後補。本像を安置する御堂(かみのみどう)は、延長年間923年 - 931年法隆寺別当観理が京都普明寺の堂を移して創始したものだが、現存する堂は鎌倉時代末期のものである。本三尊像は、醍醐寺の上醍醐薬師堂薬師三尊像延喜13年913年)と様式的に共通点があり、上御堂創始され10世紀前半頃の制作とみられる木造四天王立像 重要文化財南北朝時代像高持国天167.2センチ増長天173.5センチ広目天168.9センチ多聞天171.0センチ。上御堂須弥壇四隅に立つ。寺の記録である『嘉元記』『別当記』の記載、及び各像の台座裏の銘により造像事情判明する。それらによると、本像は湛舜僧都発願で、約10年をかけて文和4年1355年)に完成したもので、担当仏師持国天増長天寛慶広目天順慶多聞天が幸禅である。ヒノキ材、寄木造内刳施し玉眼使用表面彩色截金仕上げている。

※この「上御堂の仏像」の解説は、「法隆寺の仏像」の解説の一部です。
「上御堂の仏像」を含む「法隆寺の仏像」の記事については、「法隆寺の仏像」の概要を参照ください。

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