上座部仏教の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 04:31 UTC 版)
詳細は「上座部仏教」を参照 ミャンマーにおけるモン族およびピュー族の土地により、5世紀以降イラワジ川とチャオプラヤ川の流域に上座部仏教が存在していたことが、幅広い見地から証明される。ミャンマーの上座部仏教は、当初から仏教の他の宗派や他の地域と共存していた。仏教がインドで衰退した後、スリランカから来た上座部仏教の僧がミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスへの布教に取り組み、これらの地域すべてを上座部仏教に改宗させることに成功した。 パガン王朝を開いたアノーヤター王(1044年 - 1078年)は、スリランカからもたらされた上座部仏教を取り入れ、数多くの寺院を首都バガンに建設した。ミャンマーの他地域やモンゴルからの侵略により、この地の上座部仏教は衰退したため、スリランカから上座部仏教が再び導入された。モン族のペグー王朝(1287年 - 1552年)の時代では、ミャンマーにおいて上座部仏教は最も有力な宗教であり、スリランカの仏教と強い関係を持っていた。ペグー王朝の王のうち、ダンマゼーディー(英語版)王は1476年から1479年にかけて、スリランカのマハーヴィハーラ学派にならい、ミャンマーの仏教を改革したことで特に知られている。上座部仏教は、後代のタウングー王朝(1510年 - 1572年)では公式の宗教に残っていた。 カンボジアのクメール王朝のジャヤーヴァルマン7世(1181年 - 1218年頃)の治世において上座部仏教は、スリランカに留学したジャヤーヴァルマン7世の子タマリンダ(Tamalinda)などの王室の人々やスリランカの僧によって振興された。13世紀から14世紀にかけて、上座部仏教はカンボジアにおいて有力な宗教となり、地方の僧侶は上座部仏教の者が占めるようになった。また、タイのスコータイ王朝においても、上座部仏教はラームカムヘーン王(1237年/1247年 - 1298年)の治世に国教として取り入れられた。上座部仏教はアユタヤ王朝(14世紀 - 18世紀)の時代には、タイの社会と一体となるまでさらに強固なものとなっていった。
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