タウングー王朝
タウングー王朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/11 07:21 UTC 版)
「シップソーンパンナー」の記事における「タウングー王朝」の解説
16世紀にビルマタウングー王朝が成立すると、バインナウンの治世に東方への攻勢をつよめ、ラーンナー、ラーンサーン王朝とともにシップソーンパンナーもその支配下に入った。シップソーンパンナーでは、行政単位である「パンナー」がメコン河の東岸に6、西岸に6、あわせて12設定され、これ以後、「シップソーンパンナー(12のパンナー)」がこの国の呼称となった。以後、シップソーンパンナーは、中国に加え、ビルマにも臣属することとなった。 のちシャム(現在のタイ王国)にも朝貢があったが、シャムの王、ラーマ1世はビルマと中国が近いことを理由に保護ができないとした。1805年チエンマイの王、カーウィラはチエンフンを攻撃したが、このときシップソーンパンナーから逃げてきたタイ・ルー族(タイ語版)はシップソーンパンナーに追い返された。このころの、シップソーンパンナーは清・コンバウン王朝・ラーンナー(およびシャム)の三つの国にその時の状況に応じて朝貢するという姿勢をとっていた。
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