モンゴル人民共和国とは? わかりやすく解説

モンゴル人民共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 10:22 UTC 版)

モンゴル人民共和国(モンゴルじんみんきょうわこく、蒙古人民共和国[1]モンゴル語: Бүгд Найрамдах Монгол Ард Улсᠪᠦᠭᠦᠳᠡ
ᠨᠠᠶᠢᠷᠠᠮᠳᠠᠬᠤ
ᠮᠣᠩᠭᠣᠯ
ᠠᠷᠠᠳ ᠤᠯᠤᠰ
)は、モンゴル1924年から1992年まで使用した国号である。略称はBNMAUБНМАУ)である。


注釈

  1. ^ 1年以内の短期間で消滅した政権を除くと、ソ連に次いで成立した社会主義国家はモンゴルの北西に隣接するトゥヴァ人民共和国(「タンヌ・トゥヴァ」、1921年8月14日独立宣言、1944年10月11日ソ連に併合)となる。ただし同国はモンゴル以上にソ連の傀儡色が強く、ソ連とモンゴル以外は同国の独立を認めていなかった。

出典

  1. ^ 蒙古人民共和国憲法
  2. ^ 二木博史等訳・田中克彦監修「モンゴル史」2、恒文社、1988年「日本帝国主義へのモンゴル人民共和国の参加(1945年)」〔地図11〕
  3. ^ 蒙蔵委員会「偽蒙古人民共和國1962年度國民經濟統計要覽」


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モンゴル人民共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 07:32 UTC 版)

衛星国」の記事における「モンゴル人民共和国」の解説

詳細は「モンゴル人民共和国」を参照 モンゴルでは、辛亥革命により清国滅亡すると、清国統治機構一掃して独立宣言その後帝政ロシア経済的軍事的支援のもと、化身ラマ活仏ジェプツンタンパ8世君主とする「中国宗主権下の自治国」という地位獲得したロシア革命による混乱ロシアからの支援途切れると、1919年中国モンゴル軍事制圧して「自治返上」を強要することに成功したモンゴル独立運動家たちはモンゴル人民革命党組織し極東共和国経由ソビエト連邦共産党接触、その支援受けて中国軍隊統治機関一掃し1922年ジェプツンタンパ8世ボグド・ハーン)を元首とする立憲君主体制樹立1924年ジェプツンタンパ8世死去にともない共和制移行、モンゴル人民共和国が成立した

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モンゴル人民共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 08:52 UTC 版)

モンゴルの歴史」の記事における「モンゴル人民共和国」の解説

詳細は「モンゴル人民共和国」を参照 1922年12月ソヴィエト社会主義共和国連邦成立してから2年後1924年ボグド・ハーン死去にともない世界で2番目の社会主義国家であるモンゴル人民共和国が成立した同時に首都フレーウラーンバートル改名された。時にコミンテルンは「極左路線」を推し進めており、モンゴル人民共和国でも1928年モンゴル人民革命党第七党大会において右派追放し1930年には旧王公仏教僧侶裕福な牧民家畜没収遊牧民強制的集団化、反宗教運動下級僧侶強制的還俗個人商業禁止などをおこなった。この結果モンゴル家畜数は1930年2300頭から1932年1600頭に減少した1932年、そんな共産化に対しての不満が一挙に爆発し親ソ政策を取る革命党政府対す反乱起こった。また1939年満洲国関東軍とモンゴル人民共和国との間で国境線を巡るトラブル起き日本軍ソ連赤軍軍事介入して日本側が敗北喫したノモンハン事件起きる。第二次世界大戦において1945年8月8日ソ連に続く8月10日対日宣戦布告行いソ連軍連携したモンゴル人民軍(ザバイカル戦線)が日本軍関東軍駐蒙軍)と元寇以来戦火交えモンゴル内モンゴル東部から西部までほぼ占領して戦勝国となる。満州国モンゴル族代表だったボヤンマンダフやジョンジュルジャブ・カンジュルジャブ兄弟関東軍従わずソ蒙連合軍投降し蒙古聯合自治政府デムチュクドンロブ徳王)と李守信中国北京駐蒙軍離れ後にモンゴル人民共和国に逃れることとなった8月15日日本降伏した後、ソ連捕獲した日本兵捕虜モンゴルにも分配され、約1万2000人の捕虜強制労働従事させられた。 モンゴル人民共和国の独立国際的に認められたのは、モンゴル人民共和国が内モンゴル領有権の主張取り下げた1945年2月ヤルタ協定においてである。1961年には国際連合加入し日本とも1972年外交関係樹立した。モンゴル人民共和国は長らくソ連衛星国として共産圏中にあったが、1989年ペレストロイカ影響民主化始まり1990年3月には複数政党制採用し1991年12月ソ連崩壊すると、1992年1月新憲法採択して社会主義放棄し2月には国名モンゴル国改めた

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