ルワンダ政府軍とRPFの間の内戦再発
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「ルワンダ虐殺における初期の出来事」の記事における「ルワンダ政府軍とRPFの間の内戦再発」の解説
1993年、アルーシャ協定によりキガリ内にルワンダ愛国戦線(RPF)とルワンダ政府軍それぞれの管理区域が画定され、両者の間には非武装地帯が置かれた。両者は合同暫定政府(BBTG)の樹立後に武装を解除し、民主化と内戦後の復興に携わる筈だった。ここで注意しておくべきことには、ルワンダ政府軍は大統領警護隊及びルワンダ国家警察と密接に関係しており、ハビャリマナ大統領(フツ出身)に忠誠を誓っていた。その他のフツ・パワー支持の急進派集団もルワンダ政府軍と連携していた(これには大統領自身のフツ・パワー急進政党であるMRNDも含まれる)。ルワンダ政府軍とその友好組織から見ると、RPFはただツチの利益のみを図ってルワンダの政権奪取を試みているものと映り、フツを排斥して植民地時代のようなツチによる支配を取り戻そうとしているように見えた。これらの勢力に挟まれて、脆弱な欠片をどうにか繋ぎ合わせようとする穏健派が存在していた。 1994年4月6日は内戦の再開と虐殺の始まりとなった。その日の夕刻、ルワンダ大統領ジュベナール・ハビャリマナ少将の乗機がキガリ空港上空で撃墜された。この飛行機にはブルンジ大統領のシプリアン・ンタリャミラと、ルワンダ軍参謀総長のデオグラティアス・ンサビマナも同乗していた。生存者はいなかった。ルワンダ政府軍は即座に暗殺犯はRPFだとしてこれを非難し、その夜を以て脆弱な平和協定は瓦解してしまい、様々な努力にも関わらず遂に復活することは無かった。大統領警護隊は穏健派フツと全てのツチに対する周到に準備された暗殺計画を発動し、手始めとして今や破綻したアルーシャ協定と合同暫定政府(BBTG)への賛同者たちを襲った。彼らは飛行機の墜落から文字通り即座に行動を開始し、時間を一切無駄にしなかった。4月7日の夜明けを迎える頃には、国中が既に深く流血に染まっていた。 飛行機が墜落した後、UNAMIRは自分たちが都市全体に薄く分散しており、委任されていた各種の権限は宙に浮いてしまっていることを見出した。彼らには襲われている人々を守れるだけの戦力はなく、国連からは自衛を除き発砲を禁止されていた。人々は国連管理区域に保護を求めて雪崩れ込んだが、そこには食料も水の供給も電力も無く、特に水と電力の供給はハビャリマナ大統領暗殺後に忽ち途絶した。UNAMIRには民間人をどう扱うべきか、またどの程度まで保護を提供すべきかについて殆ど指針が無かった。混乱に輪を掛けたのは、多数の政府関係者や有力者が緊急の身の危険を悟ったことだった。UNAMIRへの保護要請はUNAMIRの対応能力を超えて殺到したが、キガリ内を移動して人々を救助することは非常に危険であるばかりか多くの場合は不可能だった。車両の不足、信頼できる通信手段の欠如、燃料の不足、そして兵力の不足が救援活動を著しく妨げた。 4月7日、暫定政権首相のアガート・ウィリンジイマナ、及び合同暫定政府(BBTG)樹立に向けて用心深く行動してきた誰かが代表して、国民に平静を呼びかけることになった。そのために国営のラジオ・ルワンダが選ばれたが、彼女は放送を阻まれ、同日間も無く暗殺された。ウィリンジイマナが殺害され国営放送も立入禁止となると、最早市民を沈静化させる者は誰もいなかった。偽情報と扇動演説が独立系ラジオ局である千の丘自由ラジオテレビジョン(英語版、フランス語版)(RTLM)から流されるようになった。RTLMは大統領機の墜落はベルギーの平和維持部隊とRPFによるものだと即座に断定し、民衆に蜂起して平和維持部隊とツチの「ゴキブリ」を殺すよう訴えた。恐怖と嫌悪は既に国中に深く根を降ろしていたが、更に稲妻の速さで広まった。UNAMIRと米軍はRTLMの放送をやめさせる方法を検討したが、実行には移されなかった。 RPFは大統領警護隊を止められる立場にあるのは自分たちだけであることに気付いた。大統領警護隊は国家警察やインテラハムウェと共にキガリ中の道路を封鎖し穏健派フツとツチの殺害を始めていた。インテラハムウェは地域住民で構成され、ツチへの嫌悪を極度に駆り立てられており、また制御するのが大変難しい集団だった。何故なら彼らは地域社会やルワンダ政府軍と密接に繋がっていたからである。UNAMIRの手は縛られていた。そこで選択肢を無くしたRPFは攻勢を開始し、ルワンダ政府軍との間で戦闘になった。ルワンダ政府軍は殺戮を行っている暴徒との関係を否定したが、ルワンダ軍を指導したテオネスト・バゴソラ大佐がジェノサイドを組織した中心人物の一人だったことがその後示されている。政治折衝の手段が失われたため、殺戮を止める唯一の手段はルワンダ政府軍を撃退してフツ過激派集団から主導権を奪うことだった。しかしながらRPFもまた全ての無意味な流血に関し潔白だった訳ではない。罪のない市民を殺害したか、または殺害したと思われた一部のフツ過激派が、RPFにより捕われて殺された。尤も、数から言えば殺害された80万人のツチには遥かに及ばなかった。
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