ルワンダ政府軍とRPFの間の内戦再発とは? わかりやすく解説

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ルワンダ政府軍とRPFの間の内戦再発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/12 07:20 UTC 版)

ルワンダ虐殺における初期の出来事」の記事における「ルワンダ政府軍とRPFの間の内戦再発」の解説

1993年アルーシャ協定によりキガリ内にルワンダ愛国戦線(RPF)とルワンダ政府軍それぞれの管理区域画定され、両者の間には非武装地帯置かれた。両者合同暫定政府(BBTG)の樹立後に武装解除し民主化内戦後復興携わる筈だった。ここで注意しておくべきことには、ルワンダ政府軍大統領警護隊及びルワンダ国家警察と密接に関係しており、ハビャリマナ大統領フツ出身)に忠誠誓っていた。その他のフツ・パワー支持急進派集団ルワンダ政府軍連携していた(これには大統領自身フツ・パワー急進政党であるMRNDも含まれる)。ルワンダ政府軍とその友好組織から見ると、RPFはただツチ利益のみを図ってルワンダ政権奪取試みているものと映りフツ排斥して植民地時代のようなツチによる支配取り戻そうとしているように見えた。これらの勢力挟まれて、脆弱な欠片をどうにか繋ぎ合わせようとする穏健派存在していた。 1994年4月6日内戦再開虐殺始まりとなったその日夕刻ルワンダ大統領ジュベナール・ハビャリマナ少将乗機キガリ空港上空撃墜された。この飛行機にはブルンジ大統領シプリアン・ンタリャミラと、ルワンダ参謀総長のデオグラティアス・ンサビマナも同乗していた。生存者はいなかった。ルワンダ政府軍即座に暗殺犯RPFだとしてこれを非難しその夜を以て脆弱な和協定は瓦解してしまい、様々な努力にも関わらず遂に復活することは無かった大統領警護隊穏健派フツと全てのツチ対す周到に準備され暗殺計画発動し手始めとして今や破綻したアルーシャ協定合同暫定政府(BBTG)への賛同者たちを襲った。彼らは飛行機墜落から文字通り即座に行動開始し時間一切無駄にしなかった。4月7日夜明け迎える頃には、国中が既に深く流血染まっていた。 飛行機墜落した後、UNAMIR自分たちが都市全体薄く分散しており、委任されていた各種権限宙に浮いてしまっていることを見出した。彼らには襲われている人々守れるだけの戦力はなく、国連からは自衛除き発砲禁止されていた。人々国連管理区域保護求めて雪崩れ込んだが、そこには食料水の供給電力無く、特に電力の供給はハビャリマナ大統領暗殺後に忽ち途絶したUNAMIRには民間人をどう扱うべきか、またどの程度まで保護を提供すべきかについて殆ど指針無かった混乱輪を掛けたのは、多数政府関係者有力者が緊急の身の危険悟ったことだった。UNAMIRへの保護要請UNAMIRの対応能力を超えて殺到したが、キガリ内を移動して人々救助することは非常に危険であるばかりか多く場合不可能だった車両の不足、信頼できる通信手段欠如燃料の不足、そして兵力の不足が救援活動著しく妨げた4月7日暫定政権首相アガート・ウィリンジイマナ、及び合同暫定政府(BBTG)樹立向けて用心深く行動してきた誰かが代表して国民平静呼びかけることになった。そのために国営ラジオ・ルワンダ選ばれたが、彼女は放送阻まれ同日間も無く暗殺された。ウィリンジイマナが殺害され国営放送立入禁止となると最早市民沈静化させる者は誰もいなかった。偽情報扇動演説独立系ラジオ局である千の丘自由ラジオテレビジョン(英語版フランス語版)(RTLM)から流されるようになった。RTLMは大統領機の墜落ベルギー平和維持部隊RPFよるものだと即座に断定し民衆蜂起して平和維持部隊ツチの「ゴキブリ」を殺すよう訴えた恐怖嫌悪は既に国中深く根を降ろしていたが、更に稲妻速さ広まったUNAMIR米軍はRTLMの放送やめさせる方法検討したが、実行には移されなかった。 RPF大統領警護隊止められる立場にあるのは自分たちだけであることに気付いた大統領警護隊国家警察インテラハムウェと共にキガリ中の道路封鎖し穏健派フツとツチ殺害始めていた。インテラハムウェ地域住民構成されツチへの嫌悪極度に駆り立てられており、また制御するのが大変難しい集団だった。何故なら彼らは地域社会ルワンダ政府軍と密接に繋がっていたからである。UNAMIRの手縛られていた。そこで選択肢無くしたRPF攻勢開始しルワンダ政府軍との間で戦闘になったルワンダ政府軍殺戮行っている暴徒との関係を否定したが、ルワンダ軍を指導したテオネスト・バゴソラ大佐ジェノサイド組織した中心人物一人だったことがその後示されている。政治折衝の手段が失われたため、殺戮止める唯一の手段ルワンダ政府軍撃退してフツ過激派集団から主導権を奪うことだった。しかしながらRPFもまた全ての無意味な流血関し潔白だった訳ではない。罪のない市民殺害したか、または殺害した思われ一部フツ過激派が、RPFにより捕われ殺された。尤も、数から言えば殺害され80万人ツチには遥かに及ばなかった。

※この「ルワンダ政府軍とRPFの間の内戦再発」の解説は、「ルワンダ虐殺における初期の出来事」の解説の一部です。
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