ルワンダ‐こくさいせんぱんほうてい〔‐コクサイセンパンハフテイ〕【ルワンダ国際戦犯法廷】
読み方:るわんだこくさいせんぱんほうてい
ルワンダ国際戦犯法廷
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ルワンダ国際戦犯法廷(ルワンダこくさいせんぱんほうてい、International Criminal Tribunal for Rwanda,ICTR)は、1994年11月に国際連合安全保障理事会決議955によって1994年11月に設置された国際司法機関。正式名称は「1994年1月1日と1994年12月31日の間でルワンダ領域内で行われた集団殺害及びその他の国際人道法の重大な違反について責任を有する者ならびに隣接諸国の領域で行われた集団殺害及びその他のこのような違反に責任を有するルワンダ市民の訴追のための国際刑事裁判所」(the International Criminal Tribunal for the Prosecution of Persons Responsible for Genocide and Other Serious Violations of International Humanitarian Law Committed in the Territory of Rwanda and Rwandan citizens responsible for genocide and other such violations committed in the territory of neighbouring States, between 1 January 1994 and 31 December 1994)である。ルワンダ国際刑事裁判所とも呼ばれる。
- 1 ルワンダ国際戦犯法廷とは
- 2 ルワンダ国際戦犯法廷の概要
- 3 設立の目的
ルワンダ国際戦犯法廷
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「ルワンダ虐殺」の記事における「ルワンダ国際戦犯法廷」の解説
詳細は「ルワンダ国際戦犯法廷」および「ジェノシデール」を参照 1994年11月8日、国連安保理決議第955号によりジェノサイドの責任者とされる政府や軍の要人を裁くための国際法廷が設置が決定され、1995年2月22日の国連安保理決議第977号により法廷はタンザニアのアルーシャに設置されることが決定された。なお、ルワンダ新政府は国内で裁判を行おうと考えていたが、国連はこれを拒否して、代わりにユーゴスラヴィア国際戦犯法廷の下にルワンダの文字を付け加えた という背景から、ルワンダ新政府は国連で同法廷設置に反対している。その後、実際の運用が始まったのは1996年5月30日のことで、公立技術学校の虐殺などに関与したインテラハムウェ全国委員会第二副議長のジョルジュ・ルタガンダ(英語版)がジェノサイドおよび人道に対する罪により起訴されたのが第1号となった。同年8月7日にはルワンダ国内でも虐殺に関与した現地指導者や一般住民を裁くための法律が成立し、1990年1月1日から1994年12月31日までの行為が対象とすることが決定された。その後、コンゴ民主共和国からの大量の難民の帰還を受け、1996年12月からルワンダ虐殺の裁判を手探り状態で開始した。 さらに2001年には、政府は9万人を超える留置者へ対応するため、ガチャチャ(英語版)として知られるルワンダの一般住民による司法制度を開始した。このガチャチャは、膨大な数の囚人数を減らすこと、民族の融和を国際社会に強調すること、4つの犯罪区分のうち最も重罪となる虐殺扇動者(カテゴリ 1)を除く犯罪者(カテゴリ 2, 3, 4)を大幅に減刑し、早期に釈放することで政権支持基盤を確保する目的があるという。ガチャチャについては、本来は窃盗などの事件を解決するための和解が目的であり、重罪を処理する制度ではないため、効果が疑問視されてもいる。 かつては国連とルワンダとの間で死刑の是非をめぐって緊張関係を招いたが、2007年にルワンダ政府が死刑廃止を決定したことでこの問題は大筋で解決した。しかしその一方で、虐殺生存者の多くは死刑の廃止に反対している。 アルーシャ法廷では開始から10年間で判決に至ったのはわずか20人に過ぎない。2003年には、2008年末までに一審を終わらせ、全裁判を2010年までに完了するため、ハッサン・ブバカール・ジャロウ(英語版)がルワンダ国際刑事裁判所の主席検察官として4年間の任命を受け、2007年には2010年まで任期が延長された。 2008年12月18日の木曜日、国防省官房長であったテオネスト・バゴソラ(英語版)が人道に対する罪で有罪となり、国連の裁判官であるエリック・モーセ(英語版)により無期懲役の判決を受けた。同法廷はさらに、1994年4月7日に暗殺されたアガート・ウィリンジイマナ首相およびベルギーの平和維持部隊員10人の死は、バゴソラに責任があることを認定した。
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