プロテスタントの作曲家概論
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「キリスト教音楽」の記事における「プロテスタントの作曲家概論」の解説
マルティン・ルターはローマ教会の堕落に抗議して95ヶ条の論題を打ちつけ、宗教改革が起こされた。宗教改革によって教会の礼拝に大きな変化がもたらされ、プロテスタント教会ではコラールによる会衆讃美がなされるようになった。 プロテスタント教会音楽の中心は、聖書のみことばを伝えることにある。マルティン・ルターは、「新しい教会では会衆賛美のない礼拝を考えることはできない」と言った。 音楽家でもあった宗教改革者ルターは、自ら「神はわがやぐら」などの讃美歌を書いて、現在でもさまざまな編曲で用いられている。またカトリックの聖歌のうち聖書に基づかないものを排除したが、来たり給え、創造主なる聖霊よ (Veni Creator Spiritus)、いざ来ませ、異邦人の救い主よ (Veni, Redemptor gentium) 等のラテン語聖歌をドイツ語に翻訳し、礼拝で用いた。 ルーテル教会においてラテン語のアヴェ・マリアは歌われないが、マニフィカトは用いられる。ルーテル派の音楽を作曲した作曲家にはヨハン・クリューガー、ヨハン・ゴットフリート・ヴァルター、ミヒャエル・プレトリウス、ヨハン・ヘルマン・シャイン、ザムエル・シャイト、ハインリヒ・シュッツ、ヨハン・パッヘルベル、ディートリヒ・ブクステフーデらがおり、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは、26曲のオラトリオのうち「メサイア」と「マカベウスのユダ」が最も有名である。 プロテスタントの教会音楽はヨハン・ゼバスティアン・バッハで頂点に達した。バッハは楽譜に宗教改革の強調点のひとつ、Soli Deo gloria(ただ神にのみ栄光を)と書くこと常としていた。その後フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ、ヨハネス・ブラームスらにもかなりのキリスト教音楽がある。敬虔なルーテル派であったメンデルスゾーンは、大バッハの作品を「この世で最も偉大なキリスト教音楽」と見なしており、バッハの音楽の復興に貢献した。メンデルスゾーンがベルリン公演を実現した大バッハのマタイ受難曲は、西洋音楽、クラシック音楽の最高峰と評される。 ブラームスは「ドイツ・レクイエム」を作曲した。いわゆる本来のカトリック的なレクイエムではなく礼拝では使われないが、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」などと同じく、キリスト教音楽には属する。1995年には戦後50年を記念して日本の湯浅譲二を含む全世界の14人の作曲家に「和解のレクイエム」の共同制作を、2000年にはバッハ歿後250年を記念して、やはりシュトゥットガルトの「バッハアカデミー」財団が世界の4人の作曲家に各90分程度の受難曲を委嘱したが、こういった記念日や教会音楽作曲コンクールなどを利用して、今日でもカンタータやオラトリオなどがヨーロッパでは盛んに作られて初演・演奏されている。 宗教改革者ジャン・カルヴァンは、『キリスト教綱要』で詩篇歌の重要性を強調し、音楽に関する造詣も深かったが、音楽のある面を警戒していた。そのため、改革派教会の礼拝においては大規模なカンタータは使われず、ジュネーブ詩篇歌が用いられた。現在もカベナンター(改革長老教会)の伝統を守る教会においては、礼拝讃美において無楽器の詩篇歌が歌われる。ルーテル派でも敬虔主義では、カンタータが避けられる傾向にあった。
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