ブレンダとしての人生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 18:37 UTC 版)
「デイヴィッド・ライマー」の記事における「ブレンダとしての人生」の解説
ブルース(デイヴィッド・ライマー)の両親は、陰茎を失ったブルースのこれからの人生や性機能についての相談のために、ボルチモアにあるジョンズ・ホプキンズ病院のジョン・マネーのところへ行った。両親が悩んでいた当時、ブルースの医者たちが、ブルースを救うかもしれない人物としてマネーのことを時々口にしていたためである。マネーは、半陰陽者の研究に基づいた性進歩とジェンダーアイデンティティの分野の開拓者とみなされている性科学者であり、その分野での権威だった。マネーはカナダのテレビにも登場し、性転換手術を施されて男性から女性になった人の症例や、性自認についての自説を語っていた。 マネーたちは、ブルースの両親に「ブルースを女性として育てることがブルースの将来のためになる」と説得した。そして、ブルースは1歳10ヶ月の時に陰茎や睾丸を去勢された。ブルースは女性としての名前ブレンダを与えられた。その後数年間、マネーたちによってブレンダは「自己を女性と認識する」ようにさせる心理的な治療を受けることになった。マネーはブレンダの親に対しても、家庭内のブレンダとブルースに対する教育方針などを指導していた。 マネーにとって、ブレンダは格好の実験材料だった。なぜならその当時、マネーは「性別を自己認識する要因は先天性(遺伝子)ではなく、後天性(環境)である」という説の強力な支持者だった。ブレンダとブライアンはDNAも全く同じ双子で、同じ時期に母親の胎内で同じ成分のホルモンを与えられた。そのため、性別の自己認識ができていない時期(マネーの説によれば、3歳まで)であれば、一方は男(ブライアン)、一方は女(ブレンダ)として育て上げることができるとした。これはマネーの人体実験にとって最高の比較材料ともいえる。もしも、ブレンダが自分のことを女性として人生を送るようになれば、「性別を自己認識する要因は後天性(環境)」というマネーの説が正しいと証明されるからである。 また、マネーは診療を受けに来る子供・親たちに対して、子供に性的自己認識を起こさせるために早期の擬似性体験を奨励していた。性に関する言葉や裸体の男女の写真などを子供たちに示し、自らも実践を行なっていた。 しかし、マネーの診察にもかかわらず、ブレンダは自分のことを「女の子」だとは一度も思わなかった。ブレンダは男の子が好むような遊びをし、人形ではなく車や飛行機などの玩具に興味を持っていた。小学校に入ると、仲間により「変な女の子」としていじめられていた。フリルがついたドレスや女性ホルモン治療なども、自分自身を女性だとは感じさせなかった。そして、スカートを穿いたり、髪を長く伸ばしたり、女の子のように歩いたりすることも大嫌いだった。しかし、マネーはブレンダの母親から受けていた事実の報告を公表せず、「ブレンダは女の子として順調に育っている」と発表するのみだった。 家族の生活は苦難に満ちていた。母親はマネーの指導に従い努力していたが、ことは好転しない。家族は一度は町を出る決心をして引っ越した。しかし、転居しても精神的に追い詰められていくばかりで、母親は自殺未遂し、両親は離婚する寸前まで至った。そして一家はまたウィニペグへ戻った。 マネーは、成長期にあったブレンダとその家族に、膣を造成する手術を受け、女性としての外観を完成させるように迫っていた。しかしブレンダ自身が、ジョンズ・ホプキンス病院を訪れることやマネーに会うことに対して猛烈に抵抗し、自殺をほのめかすほどであったため、家族は通院をやめた。そして地元でカウンセリングを受けた。 1978年、BBCが、マネーが世界に発表している双子に関するドキュメンタリーの製作を始める。1980年3月19日、英国で "The First Question (Is it a boy or girl?)" が放送される。顔・身分等を伏せてライマー夫婦も出演した。性科学者ミルトン・ダイアモンドがコメンテーターとして選ばれるが、内容はダイアモンドとマネーの立場・バランス・問題の複雑さを配慮したものとなり、ブレンダ以外のケース、成功とされる例も1件紹介された(後にジョン・コラピントにインタビューを受け、その著書の中に登場する)。放送後の世間の反応は、米国も含め予想外に静かなものであった。
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