フロンドの乱とは? わかりやすく解説

フロンド‐の‐らん【フロンドの乱】

読み方:ふろんどのらん

《Frondeは投石玩具の意》1648年から1653年にかけてのフランスで宰相マザラン王権強化政策反発する貴族たちが起こした反乱内部分裂により鎮圧されフランス絶対王政確立された。


フロンドの乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/03 22:33 UTC 版)

フロンドの乱(フロンドのらん、フランス語: Fronde, 1648年 - 1653年)は、17世紀フランスで起こった反乱。フランスにおける貴族の反乱としては最後のもので、貴族勢力は打倒され、絶対王政の確立につながった。フロンド(fronde)とは当時流行していた投石器を意味し、パリの民衆がマザラン邸をめがけて投石したことから呼ばれるようになったという。


  1. ^ ヴォルテール、P43 - P54、長谷川、P107 - P112、友清、P9 - P11。
  2. ^ ヴォルテール、P54 - P77、長谷川、P112 - P114、友清、P15 - P21。


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フロンドの乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 03:37 UTC 版)

ルイ2世 (コンデ公)」の記事における「フロンドの乱」の解説

コンデ公軍人として破天荒なほどの活躍をしたが、それがかえってフランス宮廷恐れられたためか、謀反疑惑持たれた。ルイ13世亡き後幼年ルイ14世摂政であった王太后アンヌ・ドートリッシュには頼られていたが、1647年からパリ高等法院宰相マザラン設けた新税に対し攻撃始め、その対立宮廷革命にまで高まるにつれ、王室軍事の要であったコンデ公立場微妙になってくる。 三十年戦争終結から間もない1648年にフロンドの乱が勃発1649年1月王太后ルイ14世・マザラン・オルレアン公ガストンルイ13世の弟)を連れてパリ逃れサン=ジェルマン避難する時にコンデ公護衛として従う。コンデ公派は「小宰相たち」(le Petit Metre)とあだ名され、高等法院中心とするフロンド勢と対立することになったコンデ公2月に8千の軍勢パリ攻囲し3月王室パリ入城させる。ところが、弟のコンティ公アルマンがフロンド側と市民担がれパリ軍の総帥であったところからマザラン疎まれ1650年1月コンティ公及び義兄で姉アンヌの夫ロングヴィル公アンリ2世と共に国事犯として逮捕された。 1651年2月マザラン周囲圧力から亡命、フロンド側によって釈放されると、パリを後にしてボルドー南下ギュイエンヌポワチエアンジューなどのフランス南西部謀反を起こさせ、旧敵国スペイン連絡を取る王太后から思いとどまるように説得されたがコンデ公は「もう少し早ければ和議よかろうが、せっかくここまで来た以上、パリへ引き返すこともあるまい」と拒否内乱再燃させる。スペイン軍ボルドーモントーバンなど各地集めた手勢合わせた5、6千の兵を率いたコンデ公ルイ14世をはじめとした宮廷人々追って転戦した1652年4月7日ロワール河畔のブレノーでかつての部下テュレンヌ互角戦い行ったが、砲撃受けて敗北テュレンヌ取り逃がしてしまった。戦後テュレンヌ追ってパリへ北上エタンプ反乱軍合流して7月2日パリサンタントワーヌ門でテュレンヌ再戦した(フォーブール・サントノレの戦いフランス語版))。この戦いで劣勢になったコンデ公パリからアンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアンパリの門を開いたため入城パリ陸軍総帥となるが「この軍は馬鹿らしく滑稽詩にでもするほかない」と自身評したほど、規律訓練なっていないであったスペイン支援当てにならず、居場所無くしたコンデ公パリから脱出、代わってルイ14世パリ帰還した。更に11月エーヌ川流域冬営していた所をテュレンヌ奇襲されネーデルラント亡命シャンパーニュ国境戦っていた矢先1653年3月パリ高等法院から欠席裁判死刑判決下された。フロンドの乱は亡命先から帰国して政権取り返したマザランの手腕により終熄したのである

※この「フロンドの乱」の解説は、「ルイ2世 (コンデ公)」の解説の一部です。
「フロンドの乱」を含む「ルイ2世 (コンデ公)」の記事については、「ルイ2世 (コンデ公)」の概要を参照ください。

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