ウィリアマイト戦争
ウィリアマイト戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 01:35 UTC 版)
ウィリアマイト戦争は、ウィリアム3世とメアリー2世の共同統治が決定してわずか2日後の1689年2月15日に起こった。ジェームズが王位を取り戻そうと、亡命先のフランスからルイ14世に借りた軍を起こしたのである。ジェームズはアイルランドに上陸し、当地のジャコバイト勢力と結びついて、またたくうちにアイルランド全土を席巻した。これを受けて5月5日、イングランドは対仏同盟に参加し、フランスに宣戦布告する。ウィリアム3世は自ら軍を率い、1690年7月1日、アイルランドのダブリン近郊ボイン川でジェームズ軍を破った(ボイン川の戦い)。ジェームズはまだ余力を残していたにもかかわらずフランスに逃げ帰り、アイルランド各地で起こっていた武力抵抗も1691年10月に鎮圧された。 これ以降、カトリック教徒は公職・法律職を禁じられ、土地所有や借地も厳しく制限され、アイルランドは少数のプロテスタント勢力によって支配されることとなった。また、これまでイングランドはヨーロッパ大陸の争いごとにあまり参加してこなかったが、この戦争からイングランドも大同盟戦争に巻き込まれ、「第2次百年戦争」ともよばれる対仏戦争を繰り返し、ヨーロッパの覇権争いに加わることになった。
※この「ウィリアマイト戦争」の解説は、「ジャコバイト」の解説の一部です。
「ウィリアマイト戦争」を含む「ジャコバイト」の記事については、「ジャコバイト」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- ウィリアマイト戦争のページへのリンク