ダムの建設
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ダムの建設予定地のすぐ下流側に千苅水源池の水を神戸市に送る導水管が走っているため、当ダムの建設についてはこの導水管に悪影響を与えないよう注意が払われた。昭和49年3月に本格工事に着手、基礎部分の岩盤には8本の断層が見つかったので、コア幅全てをコンクリートに置換した。ダム形成用の岩石は基本的に工事現場近くから採取したが、フィルター材については一部を外部から購入した。昭和49年11月からダム盛立を開始、昭和51年10月に盛立が完了、翌月余水吐も完了した。完成したダムは中心コア型ロックフィルダムで高さ45m、法面の勾配は上流側が1:2.3、下流側が1:1.85である。ダム建設と並行して市内へ向かう水路トンネルと3か所の渓流水取入れ設備の工事も行われた。
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ダムの建設
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「丸山ダム (兵庫県)」の記事における「ダムの建設」の解説
水利組合との交渉と並行して用地買収も行われ、昭和48年からまず進入道路の整備から着手した。貯水用のダムは丸山と畑山の間の谷を堰き止める第1ダムと、ダム上流左岸への浸水を防ぐ第2ダムの2基が建設された。第1ダムは上流側が垂直の直線重力式コンクリートダムで、基礎部分の岩盤の補強(コンソリデーショングラウト)と、止水性の改善工事(カーテングラウト)を行ったうえで、コンクリートを打設し、昭和50年(1975年)10月に工事を終了した。平行して建設された第2ダムは傾斜コア型ロックフィルダムで、基礎部分にコンソリデーショングラウトを実施した上で現場で採取した土石を用いて盛り立て、昭和50年5月に完成した。ダム本体の建造費は13億7000万円であった。ダム工事と並行して、ダム湖に水没する県道上山口船坂線の付け替え(ダム湖を横断する金仙寺橋の建設を含む)を行った。
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