スーフィズムにおける少年愛の要素
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/16 01:49 UTC 版)
「イスラーム世界の少年愛」の記事における「スーフィズムにおける少年愛の要素」の解説
詳細についてはナザルおよびイスラームと同性愛を参照。 少年愛的魅惑についての物言いは非常に広い幅を持つ。一方の極には本質的に汚れのないものであって、少年に対する凝視(アラビア語でナザル、ペルシア語でシャーヒド・バーズィー)としてスーフィズムに取り込まれた要素がある。これは人が相対的な美としての少年を見つめることを通して、絶対的な美としての神へと近寄る修行の一種として考えられる。現代のスーフィズムでは、この凝視を性的欲求を精神的意識へと変容させる心象面の修行であるとする。 リチャード・フランシス・バートンは、自らの訳書『千夜一夜物語』の結辞(パートD)において、東洋人は女性への愛より男性への愛に価値を置いた。恋人たちをペルシア語の蝶とブルブル(ナイチンゲール)に例え、また少年を灯心に、少女を薔薇に例えるが、これを用いてたとえば「灯心への蝶の献身は、薔薇へのブルブルの愛に勝る」というのである。 スーフィー詩人のアブドゥッラフマーン・ジャーミーの「ハフト・アウラング(七王座)」飾写本には、「恋についての父から子への導き」と題された部分に記された韻文がある。ここでは、父が息子に対し、価値ある男性を選ぶ時には、単なる肉体的な関わりを超越することを知り、性格や心映えへの愛を示すものを選べと言っている。次の詩はスーフィズムにおける愛を智へ転ずる方法を物語っている。 そなたへの愛、その悲嘆を壁に戸口に、書かざる家はなし。そなたの過ぎる、いつかその日に目に止まり、我が悲しみを知らばとて。心のうちに、かのかんばせは我が前に。このかんばせが我が前に。かくて知る、我が心がなにを抱くか。 ナザルは、教義に従い身体的関わりを成就しようとはしない男性にとって、愛を示す主たる表現法であった。 しかしながら全ての者が教義に厳密に従っていたわけではない。バスラのラービア・アル=アダウィーヤ(717年頃 - 801年頃。神秘主義的「神への愛」の教義を示した最初期の女性聖者)が禁欲のスーフィー、師ラバーフ・アル=カイスィーの少年への接吻を見て疑問を呈した際、彼は「逆だ。これはいと高き神が与えたもう神の奴隷への慈悲である」と言っている。 保守的なウラマーは少年美を凝視する類の慣行を非難している。「一瞥」どころかキスよりも楽しんだという「デルヴィーシュ」らの言葉は、この非難を正当化するものであろう。イブン・タイミーヤ(1263年 - 1328年)はナザルを「奴隷の少年に神を見たといってキスしているのだ」といって異端扱いし、非難している。これについてピーター・ランボーン・ウィルソンは宗教の既存のあり方への脅威となったのは、同性愛と信仰の混淆ではなく、実に「人間が、宗教的実践によるよりも、愛においてこそ、より人間自身を理解できるという主張であったのだ」と言う。ウラマーの反感にもかかわらず、マレイとロスコーにしたがえば、慣行は近年までイスラーム世界に残っていたとされる。
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