スキーフライング世界選手権の開始とスキージャンプ・ワールドカップへの参加とは? わかりやすく解説

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スキーフライング世界選手権の開始とスキージャンプ・ワールドカップへの参加(1970-1980年代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 08:00 UTC 版)

スキーフライング」の記事における「スキーフライング世界選手権の開始とスキージャンプ・ワールドカップへの参加(1970-1980年代)」の解説

ヨーロッパ以外でも1969年アメリカミシガン州アイアンウッドにK=145mのカッパーピークジャンプ台が建設され1970年3月北米最初スキーフライング大会が行われた。ただしこのフライング台はヨーロッパフライング台より規模小さく世界記録更新合戦に加わることは無かったスキージャンプ・ワールドカップ1981年1度だけ行われ1994年限りFIS公認切れてしまった。 1971年オパティヤユーゴスラビアクロアチア)で開催されFIS総会にて、1972年プラニツァ第一回スキーフライング世界選手権開催することが決定された。 1972年3月23日から26日行われた第一回スキーフライング世界選手権強風影響1日のみの本戦となり、スイスヴァルター・シュタイナー優勝2位ハインツ・ウォジピヴォ東ドイツ)、3位イジー・ラシュカチェコスロバキアとなった。 その長距離ジャンプから「鳥人」とニックネームされた21歳シュタイナーにとっては直前札幌オリンピック90m級銀メダルに続く輝かし成績となった。翌1973年に179m、1974年に177mという驚異的なジャンプしたがいずれも転倒し世界記録にはカウントされていないシュタイナースキーフライングは「不条理記念碑」として新記録求めるだけの競技終結求め自身経験から、飛行曲線からの落下潜在的に死の危険があると述べた。「スキーフライング安全性」は1970年代主要なテーマとなった1976年オーベルストドルフでのスキーフライング週間ではオーストリア17歳アントン・インナウアー初日に174m、二日目に176mと二日続けて世界記録更新した最初の世界記録挑戦についてインナウアーは1992年出版した自叙伝述べている。「記録作るには完璧なジャンプ必要だった」。 私はこの次元知らず、私自身起こったことに混乱した地上戻りたい思っていた。次第に高度を失い地上舞い戻った両足着地して174メートル世界記録樹立した。 私はこのジャンプ台ではこれ以上完璧なジャンプ不可能であることを知った。それは、あまりに遠すぎた。 その後スイス物理学者ベノ・ニッヒがこのジャンプ分析し、インナウアーは途中で諦めなければ222メートルジャンプできたことを計算導き出した。もっともこの時代ではそれだけ飛ぶと反対斜面まで行ってしまうだろう。 インナウアーは、1972年1977年2度世界選手権制したスイスシュタイナー並び1970年代最高のフライング選手であった1979年スキーフライング世界選手権制したアルミン・コグラー1981年オーベルストドルフで180mを飛んで5年ぶりに世界記録更新全体的に見て世界指導者の間ではスキージャンプスキーフライングの間に大きな違いは無いとみられていた。シュタイナー1972年札幌オリンピック90m級銀メダリスト、インナウアーとコグラーはともにノルディックスキー世界選手権の70m級で金メダル獲得している。 1979-1980シーズンチェコスロバキアのハラホフにチェルチャークスキーフライングシャンツェがオープン、同じシーズンからスキージャンプ・ワールドカップ始まったワールドカップでもスキーフライングが行われたが、当初は同じ日程別にスキージャンプ試合実施されており、最初シーズンスイススキージャンプヴィケルスンフライングワールドカップが行われた。フライングでは地元ペール・ベルゲルード勝利した同日程でスキージャンプスキーフライング実施する方式は翌シーズンまでで終了し、1981-1982シーズンからはスキーフライング単独ワールドカップスケジュールされるようになり、これとは別に2年一度スキーフライング世界選手権開催されている。1983年チェルチャークスキーフライングシャンツェで行われたスキーフライング世界選手権地元パベル・プロッツが181mの世界新記録樹立した1980年代スキーフライングで最も活躍したのはフィンランドマッチ・ニッカネンであったニッカネン1985年世界選手権優勝したほかワールドカップで6勝、また、通算4回世界記録更新した1985年スキーフライング世界選手権プラニツァ)で、ニッカネンは他を圧倒した。マッチ・プーリ(Matti Pulli)コーチニッカネン危険な所まで飛びすぎないようにあえて風の条件が悪い時にスタートさせた。それにもかかわらず180mを超えるジャンプ連発、191mの世界新をマークするなど2位50ポイント大差をつけ優勝した。 翌1986年スキーフライング世界選手権クルム)では地元アンドレアス・フェルダーニッカネン記録並んだ。この直後FIS飛びすぎを防止するためとして191mを飛距離の上限としこれ以上飛距離認定しないこととした。 この措置効果が無いことはすぐに証明された。1987年プラニツァワールドカップで測尺員はピオトル・フィヤス大ジャンプ194m発表し観客記録共有した記録非公認となった。後にアントン・インナウアーマッチ・ニッカネンそれぞれの自伝FISのこの措置は「不合理」、「無意味」と断じた。 このルール1994年スキーフライング世界選手権などの一部レース順位影響与えた。178mと182m飛んだエスペン・ブレーデセン2位、160mと199mを飛んだ上限ルールにより191mとして扱われロベルト・チェコン3位となった表彰式の2時間半後、事実はチェコンが2位だとしてお互いメダル交換した

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