コントーアハウス地区
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「ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街」の記事における「コントーアハウス地区」の解説
コントーアハウス地区(ドイツ語版) (Kontorhausviertel)は、シュパイヒャーシュタットに隣接するオフィスビル街である。19世紀後半から20世紀初頭に形成された一連のオフィスビルはコントーアハウス (Kontorhaus) と呼ばれ、日本では「商館(建築)」などと訳出される。 それらは倉庫街の形成と急速な経済発展に対応して求められるようになったものだが、19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツで見られた故郷保護運動(ドイツ語版)およびそれに基づく故郷保護建築(ドイツ語版)・故郷様式(ドイツ語版)の影響を受けた。それらの運動や様式は工業化や合理主義化への反動という側面を持ち、アイデンティティを伝統の中に求めることを志向していたので、ハンブルクにおいても北ドイツの伝統的様式が再評価された。そして、ハンブルクにおいてどのような商館が望ましいかという議論になった際には、シカゴ流の合理性最優先の高層建築は拒絶され、歴史的価値や建築的価値を尊重する観点から、7階建てから11階建てまでとすることが決められた。 この商館建築の躯体は鉄骨鉄筋コンクリート構造で作られていた。外装材は、19世紀末の時点までは、主に漆喰によりネオ・ルネッサンス様式の仕上げが採用されていたが、故郷保護運動のイデオロギーにより故郷性(Heimatlichkeit)が重視され、北ドイツでの伝統的素材であるレンガが注目された。もともと北ドイツでは石材の調達が難しいこともあり、12世紀頃からレンガ建築が広まっていたのである。19世紀末以降、レンガの中でも色彩、硬度、対候性に優れたクリンカー煉瓦(英語版)が普及したことも、これを後押しした。 ハンブルクの故郷保護運動の中心人物は、ハンブルク美術館館長のアルフレート・リヒトヴァルクで、その理念の下で建築を進めたのがハンブルク市建築監理長官アルバート・エルベ(ドイツ語版)であった。レンガの商館建築では、当初彼らの影響が大きかったが、大きな画期となったのはフリッツ・シューマッハーであった。 1909年にハンブルクの都市建築主監として招かれたシューマッハーはブレーメン出身で、ドレスデン工科大学教授となったあと、ドイツ工作連盟結成にも参加した。シューマッハーは、ハンブルクに招聘されたあと、その地の伝統の影響を受け、建材にレンガを取り入れるようになり、「急勾配の屋根、三角形の妻壁の強調、白い格子状の窓の建具」などの伝統を尊重した様式を採用した。のみならず、後にはハンブルクで確立した様式を、積極的に他の地域にも広めていくようになった。 シューマッハーはその著書『現代煉瓦建築の本質』(1917年)で、自然と人間の統一を志向し、それを具現する材質としてのレンガの特性と優位性とを詳しく論じた。しかし、レンガが伝統的な建材だからといって、ハノーファー派のような過去の様式への回帰は拒絶し、レンガを駆使した表現主義建築という、新たな様式が発展する基盤となった。 このシューマッハーの影響により、ヘルマン・ディステル(ドイツ語版)、ゲルソン兄弟 (Hans_und_Oskar_Gerson)、フリッツ・ヘーガー(英語版)およびその弟ヘルマン・ヘーガー(ドイツ語版)などが、レンガによる商館建築を手がけていった。 その中でも最高傑作とされるのがチリハウスだが、これは次節に別記する。他の商館建築としては、7階建てのミラマール=ハウス(Miramar-Haus, 1921年 - 1922年)、10階建てのメースベルクホーフ(Messberghof, 1922年 - 1924年)、9階建てのモンタンホーフ(Montanhof, 1924年 - 1926年)、8階建て及び9階建てのシュプリンケンホーフ(Sprinkenhof, 1927年 - 1932年)などがある。北ドイツ表現主義建築について博士論文をまとめた長谷川章は、これらを手がけた表現主義建築家たちの共通点を「ぎざぎざの形態の多用」「クリスタルや星形のモチーフ」「3角形の窓・柱・プラン」「煉瓦の多用」「外観の垂直性の強調」「平滑な壁面のテキスタイル状の装飾」「セラミックの彫刻」「白い梯子状の桟の窓」とまとめ、ベルリンなどの表現主義建築にも共通する要素と、北ドイツの伝統的な要素との融合が見られるとした。 ミラマール=ハウス メースベルクホーフ メースベルクホーフ(拡大) モンタンホーフ モンタンホーフ(拡大) シュプリンケンホーフのファサード シュプリンケンホーフの中庭
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