コントーアハウス地区とは? わかりやすく解説

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コントーアハウス地区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/07 15:33 UTC 版)

ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街」の記事における「コントーアハウス地区」の解説

コントーアハウス地区(ドイツ語版) (Kontorhausviertel)は、シュパイヒャーシュタット隣接するオフィスビル街である。19世紀後半から20世紀初頭形成され一連のオフィスビルコントーアハウス (Kontorhaus) と呼ばれ日本では商館建築)」などと訳出される。 それらは倉庫街形成急速な経済発展対応して求められるようになったものだが、19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツ見られ故郷保護運動ドイツ語版)およびそれに基づく故郷保護建築ドイツ語版)・故郷様式ドイツ語版)の影響受けた。それらの運動様式工業化合理主義化への反動という側面持ちアイデンティティ伝統中に求めることを志向していたので、ハンブルクにおいても北ドイツ伝統的様式再評価された。そして、ハンブルクにおいてどのような商館が望ましいかという議論になった際には、シカゴ流の合理性最優先高層建築拒絶され歴史的価値建築的価値尊重する観点から、7階建てから11階建てまでとすることが決められた。 この商館建築躯体鉄骨鉄筋コンクリート構造作られていた。外装材は、19世紀末時点までは、主に漆喰によりネオ・ルネッサンス様式仕上げ採用されていたが、故郷保護運動イデオロギーにより故郷性(Heimatlichkeit)が重視され北ドイツでの伝統的素材であるレンガ注目された。もともと北ドイツでは石材調達難しいこともあり、12世紀頃からレンガ建築広まっていたのである19世紀末以降レンガ中でも色彩硬度対候性優れたクリンカー煉瓦英語版)が普及したことも、これを後押ししたハンブルク故郷保護運動中心人物は、ハンブルク美術館館長アルフレート・リヒトヴァルクで、その理念の下で建築進めたのがハンブルク建築監理長官アルバート・エルベ(ドイツ語版であったレンガ商館建築では、当初彼らの影響大きかったが、大きな画期となったのはフリッツ・シューマッハーであった1909年ハンブルク都市建築主監として招かれシューマッハーブレーメン出身で、ドレスデン工科大学教授となったあと、ドイツ工作連盟結成にも参加したシューマッハーは、ハンブルク招聘されたあと、その地の伝統影響を受け、建材レンガ取り入れるようになり、「急勾配屋根三角形妻壁強調、白い格子状の窓の建具」などの伝統尊重した様式採用したのみならず、後にはハンブルク確立した様式を、積極的に他の地域にも広めていくようになったシューマッハーはその著書現代煉瓦建築本質』(1917年)で、自然と人間の統一志向し、それを具現する材質としてのレンガ特性優位性とを詳しく論じた。しかし、レンガ伝統的な建材だからといってハノーファーのような過去様式への回帰拒絶しレンガ駆使した表現主義建築という、新たな様式発展する基盤となった。 このシューマッハー影響により、ヘルマン・ディステル(ドイツ語版)、ゲルソン兄弟 (Hans_und_Oskar_Gerson)、フリッツ・ヘーガー(英語版)およびその弟ヘルマン・ヘーガー(ドイツ語版)などが、レンガによる商館建築を手がけていったその中で最高傑作とされるのがチリハウスだが、これは次節別記する。他の商館建築としては、7階建てのミラマール=ハウス(Miramar-Haus, 1921年 - 1922年)、10階建てのメースベルクホーフ(Messberghof, 1922年 - 1924年)、9階建てのモンタンホーフ(Montanhof, 1924年 - 1926年)、8階建て及び9階建てのシュプリンケンホーフ(Sprinkenhof, 1927年 - 1932年)などがある。北ドイツ表現主義建築について博士論文をまとめた長谷川章は、これらを手がけた表現主義建築家たちの共通点を「ぎざぎざ形態多用」「クリスタル星形モチーフ」「3角形の窓・プラン」「煉瓦多用」「外観の垂直性の強調」「平滑壁面テキスタイル状の装飾」「セラミック彫刻」「白い梯子状のの窓」とまとめ、ベルリンなどの表現主義建築にも共通する要素と、北ドイツ伝統的な要素との融合見られるとした。 ミラマール=ハウス メースベルクホーフ メースベルクホーフ(拡大) モンタンホーフ モンタンホーフ(拡大) シュプリンケンホーフのファサード シュプリンケンホーフの中庭

※この「コントーアハウス地区」の解説は、「ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街」の解説の一部です。
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