カトリック信仰とヘンリエッタ・マリアの側近とは? わかりやすく解説

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カトリック信仰とヘンリエッタ・マリアの側近

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 08:51 UTC 版)

ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス」の記事における「カトリック信仰とヘンリエッタ・マリアの側近」の解説

ヘンリエッタ・マリアは非常に熱心なカトリック信者で、このことがイングランド王としての立場だけではなく結婚当初夫婦生活にも大きな影響与えている。チャールズ1世ヘンリエッタ・マリアのことをたんに「マリア (Maria)」と呼んでおり、イングランド大衆も「メアリ王妃 (Queen Mary)」と呼んでいたが、この呼称チャールズ1世祖母同じくカトリック信者だったスコットランド女王メアリ (Mary) とのあてこすりでもあった。 ヘンリエッタ・マリア自身カトリック信仰を隠すことはなく「目に余る」「悪びれようともしない」とまでいわれていた。カトリック家庭長男強制的にプロテスタントとして育てるべきではないかという世論妨害し当時イングランド法律では違法だったカトリック式の結婚式擁護しようとしたまた、1626年7月ヘンリエッタ・マリアが、タイバーン刑場処刑されカトリック信者のために祈り捧げたことが激し論争となっている。1620年代イングランドではカトリック信者弾圧されており、このことがカトリック信者ヘンリエッタ・マリア激怒させたのである。後にヘンリエッタ・マリアフリードリヒ5世三男かつゾフィーの兄で、夫の甥にあたるカルヴァン主義者ルパート(後のカンバーランド公)がイングランド滞在している時にカトリックへの改宗勧めたが、これは失敗終わっている。 ヘンリエッタ・マリアフランスから多く高年俸のカトリック信者随行員を伴っていた。チャールズ1世王妃をとりまくこれら側近のために結婚生活うまくいていないと不満を漏らしている。また、当時イングランド王宮ではフランス文化影響強くフランス語がより礼儀正しく上品な言葉として王宮内で用いられてもいた。そしてチャールズ1世1626年6月26日に、ヘンリエッタ・マリアフランスから随行してきた人々イングランド王宮からの追放求めたヘンリエッタ・マリアはこのことに大きく憤慨し、さらに追放令受けた随行員の中にはメンデス司教のように王宮から出て行くことを拒否したうえに、自分たちのイングランド王宮における立場フランス王から正式に認められたものだと訴え出る者もいた。最終的にチャールズ1世は、随行員たちを強制的に王宮から排除するために武装した衛兵を使わざるを得なかった。しかしながらチャールズ1世命令にもかかわらずヘンリエッタ・マリアのもとには、個人聖職者聴罪司祭ロバート・フィリップら、フランスからの側近が7名残されている。 チャールズ1世によるこの追放令は、ヘンリエッタ・マリア浪費癖大いに関係がある。結婚当初ヘンリエッタ・マリアの金使い荒さ桁外れで、支払数年かかるような負債抱えることすらあった。最初にヘンリエッタ・マリア財政管理担当していたのはジャン・カイユだったが、1626年にトトネス伯ジョージ・カルー (en:George Carew, 1st Earl of Totnes)、1629年には準男爵リチャード・ウィン (en:Sir Richard Wynn, 2nd Baronet) と担当者変わっているしかしながら、金のかかるフランスからの側近半数近く遠ざけ財政管理担当者一新してもヘンリエッタ・マリア浪費は止むことがなかった。チャールズ1世から多く贈り物受け取っていたにもかかわらず1627年には秘密裏借金をしており、イングランド内戦勃発する直前まで多く高価な衣服購入し続けた記録残っている。 それから数年の間に、ヘンリエッタ・マリア周り新たな側近層が形作られた。セント・オールバンズヘンリー・ジャーミンヘンリエッタ・マリア寵臣となり、1628年には副侍従の職に就いた。デンビ伯夫人スーザン・フェイルディング (en:Susan Feilding, Countess of Denbigh) は王妃女官長 (en:Lady of the Bedchamber) に就任し個人的にヘンリエッタ・マリア親友となっている。また、ヘンリエッタ・マリア宮廷に、ジェフリー・ハドソン (en:Jeffrey Hudson) やリトル・サラら数名小人雇い入れている。1630年までに、ヘンリエッタ・マリア自身邸宅としてサマセット・ハウスプラセンティア宮殿 (en:Palace of Placentia)、オートランズ宮殿 (en:Oatlands Palace)、ノンサッチ宮殿英語版)、リッチモンド宮殿英語版)、ホールデンビー・ハウス (en:Holdenby House) を与えられ、さらに1639年にはチャールズ1世ヘンリエッタ・マリアのためにウィンブルドン・ハウスを購入している。これらのほか、ヘンリエッタ・マリアは、珍しいなども買い入れている。

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