カトリックへの改宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 02:16 UTC 版)
「ラティスボーン」の記事における「カトリックへの改宗」の解説
パリで法律を学んだ後、ラティスボーンは家業の銀行に入社し、16歳の姪との婚約を発表した。1842年1月、花嫁の年齢を理由に結婚が延期されたため、ローマに遊学に出かける。この頃、カトリック教徒の友人から「不思議のメダイ」を身につけて祈るように熱心に勧められる。不可知論者であった彼はカトリックを毛嫌いしていたが、その友人があまりにも熱心に勧めるため根負けして彼の言う通りにした。すると、十字架の夢を見るようになり、満足に眠れなくなった。1月20日、サンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に入り、聖母マリアの幻視を体験する。この体験により、カトリック教会の洗礼を受けるように導かれた。 洗礼の際、自分の洗礼名にマリー(Marie、マリアのフランス語)を付けたのは、自分の人生において聖母マリアが果たした役割を反映させたものであったと考えられている。 アルフォンスはパリに戻り、婚約者に新しく見つけた信仰を宣言し、彼女にも信仰を共有するように勧めた。しかし、姪はこれを涙ながらに拒絶した。同年6月、イエズス会に入会し、1848年に司祭に叙階された。
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